愛の物理学

Cedric Diggory


 セドリックは、借りていた詩集を脇に置いて、ふかふかの肘掛け椅子に深く沈み込むように座った。いっそ、このまま沈み込んで椅子と同化できたらどんなに素晴らしいだろうと考えながら、息を吐き出す。

 今日は様々なことがあった。脳裏に少女を思い浮かべれば、笑うべきか嘆くべきかセドリックには分からなかった。

「どうしたの?」

 かけられた声に思わず背が伸びた。身体を起こしながら、セドリックは何だかだ疲れてと歯切れ悪く曖昧な答えを口にしながら、目の前のソファに腰掛ける少女をじっと見つめた。

 緩やかなウェーブの髪を1つに纏めた姿にどこが違和感があって見つめていれば、少女は察したように口を開いた。指は暇を持て余したように髪を弄っている。きっと恥ずかしいのだろう。

「石化が解けて、ここに来るまでシャワーを浴びる暇がなかったの。何だか気持ち悪いから」

 どうりで髪を縛っていたのかとセドリックは納得したように頷いた。石化してたのだから別に汗を掻いたわけでもないのにと笑って伝えれば、彼女は気持ち的な問題よと短く言った。

 セドリックは、シャワー浴びてくるからもう行くねと席を立つ彼女の腕を掴んだ。思わずと言った様子で、彼自身も動揺していた。何が言いたいのか自分でも分からなくて、不思議そうに首をかしげる彼女にセドリックは弱々しく微笑んで当たり障りないことを話す。

「あの時、君を1人で行かせたこと、後悔してるんだ。ごめんね」

「普通あそこで警戒しないわよ、気にしないで」

 驚いたように首を振る動きに合わせて、柔らかな纏められた髪が尻尾のように揺れる。まるで振り子のように揺れた髪を見つめながらセドリックは口に出かけた言葉を飲み込んだ。

「有難う」

 何故、養子であることを教えてくれなかったんだい?

 僕はフレッドより信用できない?

 僕たちは親友だろう?

 言いたい事は沢山あった。けれど、そのどれもが醜くて、セドリックは全てに蓋をするように無理やり笑みを浮かべた。歪な笑みに、変なセドリックと軽やかに笑って女子寮へと続く扉に向かう彼女を目で追った。

 彼女が石になった後に、怒ったフレッドに言われた事実。知らなかったんだから仕方ないだろうと言えたのに、女々しく隠し事されていたとショックを受け何も言えなかった。彼女は今も言う気はないようで、それに乗っかりセドリックは知らないふりをする。彼女の出自だけではない、それで渦巻いた自分の醜い感情からも目を背けた。

 いつから、彼女を目で追うようになっただろうか。見慣れた後ろ姿に変に胸の奥が握りつぶされたように苦しくなる。このまま、居心地のいい友人の関係でいたい。誰よりも彼女の近くにいたい。彼女の恋人になりたい。相反する思いが胸の内で渦巻き、セドリックを酷く疲れさせる。



質量の大きさは体積に比例しない
すみれのように小さいその少女が
花びらのようにひらひら揺れるその少女が
地球よりもっと大きい質量で私を引きつける
瞬間、私は
ニュートンのりんごのように
容赦なく彼女のもとに落ちた
どくんと音をたて、どくんどくんと音をたてて

心臓が
天から地まで
気が遠くなるような振り子運動を続けた
初恋だった。



――落ち込んでる時間を使って、次のスリザリン戦に向けて作戦を立てましょうよ。

 嗚呼、そうだ。僕がどん底にいたあの日。笑顔で手を差し出した彼女に引っ張られるように、まるでこの詩の林檎のように、僕は彼女の元に落ちていった。もう、後戻り出来ないほどに。


 心臓が規則正しく音を刻む。胸を突き破って、振り子が飛び出してきそうだった。


Fred Weasley


 フレッド・ウィーズリーが少女を好きになった理由など特にない。瞬間的に恋に落ちた場面もなかった。詩のように例えるならば、そう……林檎だ。実を成し、熟し、その重さに枝が耐えきれずに落ちていく。フレッドの恋はまさに時間をかけて出来上がったものだった。

 冷たく固い……石のようだとフレッドは逡巡した後、実際に今彼女は石なのだと自嘲した。彼女は純血ではない、アスター家の血は一滴たりとも継いでいない。マグル生まれの両親を持つ、正真正銘のマグル生まれだった。継承者の敵が、マルフォイが言うようにマグル生まれなのかもしれないと思い当たった時にもっと気をつけるべきだった。

 後悔の念を抱えながら再度彼女をちらりと見る。恐怖に怯えた表情が変わることはない。目を見開き、唇が少しだけあいている。そっと頬に手をやれば、彫刻となった彼女の頬は冷たく滑らかだった。すぐに赤く染まることもない。

 もし自分がハッフルパフの誰かに――嫌だったとしてもディゴリーとかに――彼女の出自を教えていたらどうなっただろう。きっと、彼女は今こうして医務室のベッドを独占していないはずだ。彼女自身もこの秘密の部屋の脅威に晒される恐れがあると分かれば、過保護なディゴリーが彼女を一人にするわけがない。

 己の馬鹿な独占欲が彼女を石にした。私がマグル生まれだってウィーズリー家しか知らないのよと笑う彼女に甘えた自分が嫌になった。そう、別に彼女は今や自身がマッキノンの娘であることを疎んでなどいない。ディゴリーや、他の彼女の親友の誰かに、一応伝えようとフレッドが説得すればきっと頷いていただろう。

 マンドレイクの薬は、いつ効いてくるのだろうか。マダムポンフリーが彼女に薬を飲ませてから暫くたったが、まだ石のままだ。そっと手を握りながら、指先で擦るように手の甲を撫でる。自分の体温が移ったように彼女の手が温い。

 指先がピクリと動く。驚きでフレッドはじっと彼女の顔を見つめた。唇が閉じ、見開いていた目がまるで現状が理解できないというようにゆっくりと何度も瞬く。フレッドはかだらの奥底から何か温かい感情が湧き上がるのを理解した。

 その感情に任せるまま、彼女に抱きつく。首の後ろに手をまわし、まるで小さい頃彼女が久しぶりに家に遊びに来てくれた時のように抱きついた。「え?」「フレッド?」と戸惑ったような声が聞こえたが、フレッドは聞こえないふりをして抱きつく。久しぶりに感じた子供のように少し高めの彼女の体温が愛おしかった。

 おずおずと彼女もフレッドの背中へと腕を回し、あやすようにポンポンと背中を叩いた。困惑した彼女の雰囲気がどんどん酷くなる。クィディッチはどうなったのなんて言い出した彼女の口を、フレッドは思わず塞いだ。

「少し、黙って」

 驚きで目を丸くし固まる姿に、フレッドは堪らずもう1度キスを落とす。彼女の唇は熱い。さきほどまでの冷たさは無く、子供のように高い彼女の体温が愛おしかった。言葉をねだる彼女に、フレッドは恥ずかしさを誤魔化すように笑って言った。

「好き。俺と付き合わない?」

 優しく笑った彼女は、フレッドにそっとキスを落とす。フレッドは、そっと目を瞑りキスを受け入れながら敵わないなと笑いそうになった。かっこ悪いことは重々承知で、耳まで真っ赤に染めながら、フレッドはただ幼馴染から送られた優しいキスを受け入れることしかできなかった。かっこいいこと何一つ言えない自分が少しばかり嫌だ。

 林檎は熟し、落ち、腐って地面へ溶けていく。君に恋したせいで、俺はこんなにも愚か者だ。

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テーマ「人外ファンタジー」
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