▼ 幸福
「お帰りなさい、トム!」
「ただいま、マリー」
玄関の開く音に、堪らずリビングから走り出る。身重の体を案じて、後ろからマンソンジュの悲鳴が聞こえたが、それよりも早く私の愛しい人の顔を見たかった。私はあの端正な顔が大好きだ。
「だめじゃないか、安静にしてないと」
走る勢いのまま抱きついた私を抱きとめながら、トムは笑って私の腹を撫でた。腹の中にいる愛しい子供も同意するように蹴ってきたので堪らず笑う。
「嫌だわ、あなたまでトムとマンソンジュの味方をするの?」
お腹に手を置いてくすくす笑うと、トムが後ろから抱きしめるように腕を回して両手を私の手の上に重ねる。悪戯に唇を首筋から耳元まで滑らせるのだから、擽ったさに身をよじった。
「子供の名前はもう決めた?」
「デルフィーニだ」
「あら、女の子なの? この子、お腹よく蹴るわよ」
抱きしめられたまま、後ろを振り返るように見上げるとトムは優しそうな笑みを浮かべて頬や鼻先に唇を寄せてくる。それが少しだけもどかしくて、背伸びをして彼の唇にキスをした。
「多分君みたいに可愛い女の子だと思うんだけどな」
「私は男の子でも女の子でもあなたに似て欲しいわ」
「女の子でも?」
「とびっきりの美人になるに決まってるもの」
トムに腰に腕を回され、支えられながら歩く。リビングのカウチに一緒に身を埋めれば、マンソンジュがおどおどしたように私に麦茶を、トムにホットコーヒーを差し出す。それを受け取って、思わず一息ついた。
「私たちの子供も、ホグワーツに送り出したら結婚相手を見つけちゃうわ」
さみしいわよねと言ってお腹を撫でると、トムが穏やかに笑った。
「皆が皆、僕らみたいに学生時代に出会って結婚してる訳でもないよ」
トムと一緒にスラグクラブのパーティーに行ったのが懐かしい。彼のパートナーとして参加したのだった。あの時、音楽に合わせてスローテンポで一緒に踊ったのがまるで昨日のように思い出せる。ずっと彼に夢中だ。
「ねぇ、トム。私のどこが好き?」
「秘密だよ」
くすくす笑って私のこめかみに口付けるトムに、意地悪ねと笑う。暖炉の火が轟々と燃えていて、そばには屋敷しもべ妖精が仕えている。隣には、最愛の人がいて、お腹の中にはその人との子供が宿っている。なんて幸せなんだろう。幸せすぎて、死んでしまいそう。トムの肩に頭を乗せて、幸せを噛みしめるように目を閉じた。
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