Swindler | ナノ


▼ 音もなくさよなら1

 目が覚めた時、部屋には誰もいなかった。着けられた指輪が気持ち悪くて、堪らず指から引っこ抜くと力一杯床に叩きつける。指輪は傷ついた様子もなく静かにカーペットの上に横たわった。

 私の名前はマリーなんかじゃない。マリーはノアにだけ許した愛称で、決してリドルが呼んでいいものではない。
 リドルは婚約者なんかではない。私の婚約者はノアで、彼は私にノアを殺させた。

 あの時、私の前に現れたリドルは、ポリジュース薬を飲み服従の呪文をかけられたノアだったのだから。徐々に顔や体が変容して、大好きな小麦色の肌に、柔らかな金髪に、私を映してくれない空っぽの青い瞳になっていく姿にようやく何をしてしまったのか気付き、取り乱して泣き叫ぶ私にむかって歩み寄ったリドルは私の足元から杖を拾い上げ、折ったのだ。

 魔法が使えない代わりに殴りかかろうとした私の動きを魔法で封じる――その後の悍ましい記憶に背筋が震えた。「僕の優しさに感謝するといいよ」なんて宣い、記憶消去の呪文をかけられ、あの日に至ったのだ。

 記憶が蘇ってきそうでブルリと体を震わせた。部屋の隅を見る。丁度あの辺りだ、私がノアを殺してしまったのは。悔しさや屈辱、哀しみ、後悔……自分でも言い表せない負の感情に、唇を噛む。

 自分が今着ている服も部屋も、全てリドルが用意したものだと思うと吐き気がする。クローゼットに入っている服も全て切り刻みたい衝動に駆られたが、今やるべき事はそれではない。

 隔離されたこの森の中の屋敷から無事逃げ果せるかは分からない。マンソンジュは命じたからこの部屋に夜まで寄り付かないだろう。どうすればいい、どうすればいい――! たまらず、玄関から飛び出した。不思議と鍵は掛かっておらず、裸足なのも構わずに森の中を走る。

 ぬかるんだ土が気持ち悪いが、それを気にする余裕もなく走り続けた。ワンピースの長い裾が足にまとわりつくのが邪魔で、膝上でビリビリとワンピースを引きちぎる。千切った布切れは捨て、もう一度足を動かした。

 息が上がる。脇腹が、まるで内臓を握りしめらているように痛い。喉の奥で生臭い血の味がするような錯覚さえした。森の先が開けて、明るい日差しが差し込んでいる。喜びが湧き上がってきて、足を叱咤しもう一歩、さらに一歩と走った。

「なんで……なんでよ……」

 森がひらけた場所、そこは先ほど自分が出たばかりの洋館だった。自分はひたすらまっすぐ走った筈だ。なぜ、ここにたどり着いてしまったのか意味がわからない。もしかして、リドルが何か呪文を施しているとでもいうのだろうか。だとすれば、それは私にはどうにもできない。リドルの杖を奪う以外、まじないを跳ね返す術なんて持ち合わせてはいなかった。

prev / next

[ back to list ]



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -