▼ 指輪が唄う過去1
目が覚めた時、隣にトムはいなかった。乱れたシーツのあとを触って見ても、ヒヤリと冷たさが伝わってくるだけで、随分前にトムは起きたのだろう。寝ぼけ眼でトムがいたところのシーツを指先でなぞる。薬指に見慣れない指輪がはめられていることに気づいて一気に脳が覚醒した。
飛び起きてまるでそこに元からあったかのように輝く金の指輪がある、見慣れたそれは、トムが肌身離さず着けていたもののはずだ。
金のリングに、死の秘宝のマークが刻まれた黒い石が嵌っている。
トムがくれたというのだろうか。指輪のリングをそっとなぞり、指から外してみる。内側には「Gaunt」と刻印されていた。トムの名前は、トム・リドルの筈だがどうやら違うらしい。母方の親戚から受け継いだものだとしたら頷ける。
「マンソンジュ」
一言呼べば、バチッという音とともにキッチンタオルをまるで古代ローマ人のように着たしもべ妖精が現れた。恭しく礼をするが、その枝のように細い手は微かに震えている。彼女はどうやら人間に怯えているらしかった。
「如何なさいましたのですか?」
「トムは?」
「ご主人様はお出かけになられているのです。明日の朝までお戻りにならないと私めは伺いましたのです」
ふーんと気の無い返事をして、ベッドからシーツを巻きつけて立ち上がる。マンソンジュに朝食の用意を支持すると彼女は感極まったように頷いて消える。
数分後、再び朝食を持って現れたマンソンジュに吟遊詩人ビードルの物語を持ってくるようにお願いした。どうしても、この石に刻まれた死の秘宝のマークが気になって仕方がない。
「お嬢様、此方でございますです」
「有難う、マンソンジュ」
「お嬢様が私めにお礼を仰られた!」
「マンソンジュ、読書するから一人にしてちょうだい。夜ご飯までこの部屋には来ないでね」
感激に打ち震えるマンソンジュにはいはいと頷きながら命じれば、コクコクと首を千切れんばかりに振って消えた。多少面倒臭いが扱いやすい子だ。トム曰く屋敷しもべ妖精は皆こんな様子らしい。難儀な生き物だと思う。
受け取った本を持ってカウチに腰掛ける。変な緊張感とともに、本を開く。――やっぱりだ。思った通り、三兄弟物語の余白、そこには三角と丸、そして棒を組み合わせた死の秘宝のマークがメモ書きのように薄らと書かれている。
トムは明日の朝まで帰ってこない。今しか試せるチャンスは無いだろう。ドキドキと高まる胸を押さえ、そっと指輪にはめられた石を回転させた。
「マルグリット……」
目の前にいたのはゴーストでも無いが人間でも無い何かがいた。透けているような、まるで実体を伴わない。赤毛の髪にけばけばしいピンクのローブを纏ったでっぷりとしたおばさんと、金髪に青い瞳を持ったハンサムな青年だ。この組み合わせ、それに人違いもしているらしい。色々な疑問を持ちながら指輪を見る。
「人違いじゃ無いかしら? 私はマリーよ」
「間違えてない、君のことだよ。マリー」
悲しそうに眉を下げた青年が、すーっと私の方へ寄ってくる。身を捩って避けようとしたが、それより先に青年の手が頬に添えられる。その瞬間、まるで何かに引き込まれるような感覚に襲われた。
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