▼ 私を知るひと、知らない私3
「あの……リドル?」
「トムでいいよ、特別な君に呼んでもらえたら、僕の平凡な名前も特別なもののように聞こえる」
戸惑いながら苗字で呼んだ私の頭を撫でると、トムは甘やかな笑みを浮かべて言った。特別とはどういう意味なのか。質問すれば、トムは一瞬黙った後に愛しいって意味だよと恥ずかしがるそぶりも見せず歯が浮きそうなセリフを平然と言ってのけた。質問した此方がバカみたいだ。
「トム、私の洋服はどこにあるの?」
私の質問を聞いたトムは酷く気まずそうにベッドの方へ一瞬視線をやった。それを見逃すはずも無く視線の先を辿れば、下着やら衣服が脱ぎ捨てるように落ちていて、記憶はないのに昨夜のことが察せられる。
咳払いしたトムが棒――先ほど明かりをつけるときも振っていた洗練された棒だ――を振ると、ベッド周辺は綺麗に整頓され、次の瞬間新しい着替えが私の目の前に現れた。魔法のような出来事に戸惑いつつも受け取り、トムに視線をやれば一瞬首を傾げたが、察したようで「あぁ、席を外すよ」と微笑んで部屋を出ていった。
視線を下ろし手元の洋服を見る。渡されたそれは、リネン素材の目に優しい緑色のワンピースだった。一見シャツワンピースのようで、胸元に3つ、袖に2つ蜂蜜を溶かしたような色のボタンがついていた。
手早く下着とワンピースを着て、知らぬ間に足元に置かれていたローファーと靴下も素直に履く。本来なら大人しくこの部屋でトムを待つべきなのかもしれない。でもそれは、本当にトムが恋人だった時のみの話だ。
手首に残る赤い痣もよく見れば誰かに強く握り締められたように1周巻きつくように出来ていて、事故でできたとは思えない拭きれない違和感がある。それに、彼は仮に本当に恋人だとしたら、おかしいではないか。愛しい恋人が記憶喪失になってパニックに陥ってるというのに取り乱しもしない。
トムが目の前にいるときは一切出なかった強気な心がむくむくと湧き上がってきて、私は握り拳を作ると勇ましく扉を開けて廊下に出た。
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