▼ 私を知るひと、知らない私1
目が覚めた時、暗闇のせいで自分が目を開けているのか、それとも閉じているのかすら分からなかった。瞬きをして数秒、暗闇に目が慣れればうっすらと見えるのは見慣れない景色。混乱する頭に冷静になれと呼びかけ、此処がどこだか考えようとした時に気が付いた。
一体私は誰だろう。
手が震える。自分が寝ている場所がベットだとか、そういった知識は思い出せる。それなのに、自分の髪が何色なのか、瞳の色は、顔の形は、声は……自分の容姿すらどの様なものだったか思い出せない。名前だけじゃない、自分に関わる記憶全てが抜け落ちていた。ぺたぺたと顔を触るけど、何も思い当たらない。
堪らず、まるで自分を守る様に両腕を胸の前で交差し、自身を抱きしめる形で肩甲骨に回した時に、直接触れた素肌で初めて自分が一糸纏わぬ姿である事にも気付く。意味が分からなかった、自分が何者かすら分からない恐怖が体を覆う。酔って昨日の記憶がない、みたいな生緩い状況ではない。一体何が起こっているの。
心もとないが、のりのきいたパリッとしたシーツを体に巻き付け恐る恐るベッドから足を下ろす。床には絨毯が敷かれているのか、予想していた冷たさが肌に触れることはなかった。目が慣れたからといって、暗闇を歩くのは酷く心細い。壁伝いに歩けば、大きな扉があった。
恐る恐る扉を押せば、それは思いの外あっさりと開く。廊下は明かりがついていたので、急な明るい世界に目が追いつかない。目を瞬いていると、人影がこちらに向かっていることに気が付いた。
「マリー、そんな格好で外に出ちゃダメじゃないか」
嗜めるような声音。低いベルベットに肌が粟立つ。近くに来ると、黒いローブを羽織った男の顔が酷く整っていることが分かった。まるで……そう、彫刻だ。天使の彫刻のような、完璧な美しさを持つ男だった。青白い肌がより一層男を人間とは別のものに魅せる。
男は私を不思議そうに見つめていたが、視線に下心や悪意は感じられない。大股で――それでも尚、優雅だった――こちらに近付いてくる。どうして無視するのと目の前で問いかけられて初めて、自分が「マリー」だったのかと思い至る。マリーはこの男とどんな関係だったのか知らないが、知らない男の前でシーツ1枚だけ巻き付けた状態のまま話すなんて恐ろしくて耐えられなかった。
「えっと、その……」
怯えた私の様子に男は眉を下げ、「どうしたんだい」と心配そうに問いかける。男の手が肩に触れ、冷たさと恐怖に肩が跳ねる。反射的だった。思わず、はたき落とす。男は酷く驚いた様で、一体どうしたと一歩近付いて来ようとする。
「やめて……来ないで……」
耐えきれず後ずさり、咄嗟に扉を閉めて内鍵を閉めた。そのまま、どうすればいいのかと辺りを見渡す。明るい空間に慣れてしまったせいで、先ほどと同じ状況に逆戻りしただけなのにとてつもなく怖くなった。
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