▼ 英雄の転落2
「アクシオ!」
セドリックの手元に、一つの小さな袋が飛び込んだ。お守りだ! ソフィアは、セドリックが呼び寄せ呪文をすでにマスターしていることや、探し物を簡単にやってのけたことに感動して思わず拍手した。照れたように笑っていたセドリックだが、悲鳴のような馬の嘶きが聞こえて固まった。
ソフィアとセドリックは視線を合わせて、できるだけ静かに音がした方向へと向かった。茂みから、恐る恐る覗き込む。目の前の光景に、ソフィアとセドリックは凍り付いた。
視線の先、地面に純白に光り輝くものがあった。一角獣が死んでいた。生きていれば、さそがし美しかったのだろう。長くしなやかな脚は、倒れたその場でバラリと投げ出され、力無く横たわっている。その真珠色に輝くたてがみは暗い落葉の上に広がっていた。頭をフードにスッポリ包んだ何かが、まるで獲物を漁る獣のように身を屈め、傷口からその血を飲み始めた。
悍ましい光景に思わず半歩下がると、パキリと小枝が折れる音がした。ソフィアは自分の迂闊さを呪った。気付かれた。
フードに包まれた影が頭を上げ、ソフィアとセドリックがいる茂みを真正面から見た。一角獣の血がフードに隠れた顔から滴り落ちる。その影は立ち上がり、近寄ってくる。ズルズル滑るような音がした。
「アバタ――」
セドリックだけでも逃がさないといけない。自分がいなければ、真面目なセドリックが森に足を踏み入れることなんて起こりえなかったのだ。ソフィアは自分を奮い立たせた。ソフィアは素早く茂みから躍り出て、ユニコーンを殺した悍ましい化け物に、杖を構えた。
恐怖で歯が鳴り、杖腕も震えてまともに照準を合わせられなかった。フーッフーッと息が漏れる。頭の中はパニック状態で、どの呪文を放てばいいのかすら検討がつかない。引き出しを全部ひっくり返したように、ソフィアの脳内はしっちゃかめっちゃかだ。
怯えながらも逃げる気がないソフィアの横に、セドリックが並んだ。セドリックは、ソフィアほどあからさまに怯えてはいなかったが、目の色には確かに恐怖を浮かべていた。なぜか、フードを被った悍ましい何かは、何をするでもなく二人から離れていった。ソフィアたちがいる茂みに対してつい先程放とうとしていたのは、紛れもなく死の呪文だった。なぜ、今さら何もせずに立ち去ったのだろうか。ソフィアには見当もつかなかった。
ソフィアとセドリックは茫然と、消えた先を見つめた。念のため杖を構えたまま暫く待っていたが、戻ってくる気配はない。森の奥から、さきほどのズルズルと何か這うような音とは違う、軽やかな音がした。徐々に大きくなり、蹄の音だと分かった。
「これ以上、この森に足を踏み入れないほうがいい」
茂みから現れたのは、明るい金髪に胴はプラチナブロンド、淡い金茶色のパロミノのケンタウルスだった。腰から下がツヤツヤとした毛並みのいい長い尾をつけた馬の姿だった。酷く澄んだ青い目がゆっくりと瞬きをして、地面に横たわるユニコーンを見て、それからソフィアたちをじっと見つめた。ソフィアと目が合った瞬間、少し驚いたように瞳孔が開いた。
「そうか……星を見ていると、つい時の流れを忘れてしまう」ケンタウルスは一度星空を見上げた。「今夜は冥王星が近づいているのかもしれない」
ケンタウルスがゆっくりと首を振って、もう一度ソフィアとセドリックに向き直った。その瞳は酷く優しげな色を灯している。
「え、冥王星?」ケンタウルスの言葉に、ソフィアは戸惑いつつ聞き返した。
「私の名はフィレンツェだ」
ケンタウルスが言った。ソフィアが聞き返したことは、少しも気にとめていないようだった。フィレンツェは今もソフィアの目をじっと見つめている。
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