風紀委員会活動日誌 | ナノ


5/30 我妻善逸

 甘いものを食べたい気分だ。本当は寄り道でもしたかったんだけど、不審者の件で寄り道は禁止されている。甘味代わりに聞き出そうとした渋川さんの恋バナは結局聞けずじまいだったし。誰だったんだろあの男。ふと目についた自販機にお金を入れて缶ジュースを買って、家に帰ってから飲もうとカバンに財布と一緒にしまった。……その時だった。

「たっ……助けて!」

 聞き覚えのある声、というかつい数分前まで聞いていた、渋川さんの声じゃないか!
 渋川さんの家は川の向こうだから、多分まだ橋の近くにいるはず。襲われたら助けてって言われたじゃないか。不審者相手じゃなくても、なんかヤバいことに巻き込まれてるのかもしれないし。
 橋の上に見慣れたうぐいす色の背中が見えた。やっぱり渋川さんだ。信号待ちの間に少しずつ小さくなっていく。信号が青に変わった瞬間、車より早く駆け出した。
 不自然に膝立ちする渋川さんと、その右腕を引っ張る白いフードの男。思わず、力なく垂れた渋川さんの左腕を取った。

「おい、フード野郎。渋川さんの手を放せよ!」

 男の動きが止まった。ゆっくり俺の方へ振り返る。フードの下の濁った目と、目があった。

「チ、男の唾がかかったやつだったなんて興醒めだ」

 男が掴んでいた渋川さんの右腕を俺の方に押してきた。地面に倒れそうだと思って、肩に右手を伸ばした。手に彼女の体が収まって、ほっと胸を撫で下ろす。男の背中が学校と逆側に消えていくのに叫んだ。

「お前っ……待てよ!」

 悪いやつが待てって言われて待つ訳がない。かといって渋川さんを置いて追いかけるのはナシだし、不用意に近づくなって冨岡に言われてるし……。
 結局追いかけるのはやめて、渋川さんの背中を何回か叩いて声をかける。あんな引きずられていて声をあげなかったんだから、もしかしたら気を失っているのかもしれない。

「あが、つまくん……」
「大丈夫!? 膝とか擦りむいてるでしょ!? あっそうだ渋川さん歩ける? 肩貸すよ」
「……ありがと。手、引っ張ってくれる?」

 渋川さんの手のひらを握って引き上げる。膝は予想通り血がにじんでいるし、男に掴まれていた右腕は赤く痕がついている。
 これからどうしよう。渋川さんが落ち着いたら学校に電話して、それから家まで送ろう。さっきの男の根城と渋川さんの家が近かったら大惨事だし。スマホを出そうとして、手の甲に当たった冷たい感触を取り出した。そのまま手渡して、今度こそスマホを出した。

「これさっき買った飲むプリン! あげるから飲んで落ち着いて!!」
「ん、ありがとう。もうちょっと行ったとこにベンチあるから、そこまで肩貸してもらえる?」
「もちろん!」

 渋川さんの手が肩に乗るように身を屈めた。結構身長が違う。あいてる手を腰に……腰に!?
 いやいや待て待て善逸これは緊急事態だ。遠慮とかしてられないぞ。無心だ、無心になれ。そう、渋川さんの腰を手で支えて……。何メートルか歩いたところにあったベンチに二人で腰を下ろした。

「俺、冨岡先生に連絡しとくね」
「……ごめんね、迷惑かけて」
「全然! 迷惑なんてそんなこと……」

 あるんだけどな!! 電話越しとはいえ冨岡と話すとか、渋川さんがこんな目にあってなければ絶対にしたくないし!! でも女の子に罪はないのでさっきのフード野郎を呪っておく。
 飲むプリンの缶をシャカシャカ振る音に、コール音が重なる。電話に出た事務の桑島さんに頼んで冨岡先生に繋いでもらった。

『冨岡だ。どうした我妻』
「いまさっき、昼言ってた不審者っぽいヤツに渋川さんが遭遇して」
『場所は?』
「学園通りの橋です」
『そうか。渋川の様子は』

 隣の渋川さんの表情を伺う。おいしそうにジュースを飲んでいる。

「……無事です」
『分かった。明日の朝、二人で風紀委員会室に来い』
「あっはい、わかりました」
 
 明日の朝はもともと召集状を配るので呼び出されていたから、そのついでに行けばいいかな。多分容姿とか何を言われたかを聞かれると思うから、あとで紙に書き出しとこう。その伝達に返事をしたら一方的に電話を切られた。鮭大根に顔をほころばせるより先に労いの言葉くらい言えや。

「ありがと。いくら? 返すよ」
「いやいやいいって、奢られといて」

 むっとした顔をしながら、渋川さんは缶を傾けた。空になった缶を俺と反対側に置いて、大きく伸びをした。

「んーっ、はぁぁ……よしっ、復活!」
「歩ける?」
「多分!」

 自信満々に言うくせに多分なのかよ!!
 内心突っ込んで、渋川さんより先に立ち上がる。ジュースの缶を拾い上げてカバンの中のビニールに入れた。

「分かった、じゃあ行こう。送るよ」
「えぇ、そんなの悪いって……」
「だってさっきのヤツ、橋の向こうに逃げていったしさ……降りたとこで待ち伏せされてるかもしれないじゃん?」
「確かに、言われてみればそうかも? じゃあごめんね、お願いします」

 立ち上がった渋川さんがぺこりと頭を下げる。下げた頭を上げようとして、正面に倒れ込んできた。肩口に頭が収まって、状況を把握できてないのか混乱したのか彼女の腕は俺の腰に回っている。いやこれもうハグじゃん!?

「……やっぱり肩を貸してほしい、です」
「貸す貸すいくらでも!! 貸します!!! なんなら胸でも貸すよ!!」
「じゃあ、ちょっとだけ胸も」
「……マジで?」

 マジかどうかの返事の代わりに、渋川さんの手の位置が上昇する。
 ……アレ!? 俺今めっちゃイケメンなことしてない!? 心臓が口から出そうだ。えっこれ背中ぽんぽんとかした方がいい!? 女の子に目の前で泣かれるなんて経験、生きててこれが初めてだし!!
 そろそろと手を背中に回す。ぽんぽんと叩くというより、力加減がわからずに軽く撫でるだけになった。

「……怖かった」
「うん」
「いきなり話しかけられて、普段なら橋の上にいっぱい車通ってるのに全然いなくて、連れてかれちゃったらどうしようって思って」
「うん」
「我妻くんが来てくれなかったら、誰にも見つからないままだったのかなって」
「うん」

 落ち着け、落ち着け俺。状況に反して浮かれつつある自分の心に「明日は朝から冨岡と顔会わせなきゃいけないんだぞ、冨岡と」と戒める。その甲斐あって、意味のない冷や汗が額を伝っていく。頭に上った血が全身に回される。

「助けに来てくれて、ありがと」
「……間に合ってよかったよ」
「うん。じゃあこれで、今度こそ復活する」

 力を込めてなかった俺の腕からするりと抜け出した。復活、と肩の辺りで拳を二つ作って張り切りポーズ。そっか、俺はさっきまでこの子に胸を貸してたわけだ。
 ……俺、今日死ぬんじゃね? 帰り道でグサッとか、車がズドーンとか、そういう運が悪かったねって言われそうな死因で。今日だけで一生分の運を使った気がする。あ、明日朝イチで冨岡に会うので多少のリカバリーが効くはず。そうだ、今日死ななくても明日死ねる。そのはず。……どちらにせよ、俺、死ぬの?

「肩、貸してくれないの?」
「いやいやいや! 今貸します!」

 とりあえず、この後の事も明日の事も置いといてひとまずボーナスステージだ。囚われの姫を助けた勇者の凱旋的な気分で、渋川さんに手をさしのべた。

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