あきたりない彼女
 あいつの顔を見るとまず最初にかつかつというヒールの音を思い出す。例えそれがスターズの事務所であっても、ドラマの撮影スタジオであっても、車の後部座席に座っていても、だ。

「堂上、元気?」
「……まあ、ぼちぼち」
「はは、そりゃ何より」

 迎えの車には先客がいた。長い脚を組んで前に投げ出している。その先に見える今日の靴はウェッジソールのサンダル。らしくない真っ赤なフットネイルを晒している。

「あんたは調子どうなんだよ」
「え、あたし? まあ程々に」
「そうかよ」

 こいつの程々には絶好調だってことはだいぶ前から知っている。適当に会話を切り上げてスマホに目を落とすと、Twitterの最新ツイートの項に苗字のツイートがあった。紅色を基調とした花柄のネイル。似合わねえ。ちらりとさっき見えた爪先を一瞥する。影の中に見えるからか画像と違って深みがある色になっている。それでも赤とか、らしくねえ。膝の上で緩く握った手に施されたマニキュアは見えないけどそっちも赤いんだろうか。

「堂上、最近なんかやってることある?」
「ピアノ。明日から」

 窓の外を眺めながら聞いてきた苗字に適当に返事をする。昨日なんとなくポチった電子ピアノが届くのは明日のはず。この前テレビの生放送で共演したピアニストの弾いてた曲が気に入ったから。その程度の理由で買い物をする人間だし、苗字も俺がそんなもんだってのは十分分かってるだろう。

「へー、今度聞かせてよ」
「休みが合えばな」

 俺が飽きる前に、とは言わない。そして飽きるまでに休みが合うことも多分ないだろう。ギターと違って電子ピアノは持ち運びができないから飽きたらそのまま部屋で埃を被ることになるだろうし、多分聞かせることはない。
 今までこのやりとりを何回したんだろう。ギター、ドラム、アコーディオン。これで4回目くらいか、こいつも飽きねえな。俺が新しいことに挑戦してはすぐ飽きることを知っているくせに。

「そういえば堂上とはいろいろ約束してたっけ、ギターとか美術館巡りとか。和歌月がギター聞いたとか言ってたけどあたしより先に和歌月に聞かせたんだ」
「いいだろ別に。打ち上げだったんだから」
「なんで長期ロケにギター持ってってんだって話だよ。別にいいけど」

 なんで和歌月とそういう話をしてんだ。というか苗字はそんなに俺のギター聞きたいのかよ、ファンかよ。

「はいはい、そんなに聞きたいなら今度聞かせてやるって」
「次空いてるのいつよ? そっちの家行くわ」
「は? いや聞かせるのはさておき来るなって」
「そっちがいつまで経っても聞かせてくれないんじゃん、どうせ彼女いないしマンション同じなんだからさ」
「うるせえ、なんで彼女の存在まで知ってんだよ気持ち悪い」
「和歌月情報。いい年して人前で流れ星に彼女欲しいって言うとか恥ずかしくないの」
「うるせぇ」

 なんでもかんでもペラペラ喋るなって和歌月に送っておこう。自分の知らないところで俺の話を広めるな、いくら先輩と言えど。苗字はこうやってすぐからかいに転じてくるから面倒なんだ。

「この後空いてんでしょ。あたしはもう今日は何もなくて家に帰るし同じ車なら堂上も直帰だろうし」
「……ピアノはまだ届いてねえぞ」
「いいよ別にピアノは今日じゃなくって。あとそうだ、半年前にパスタ作るのにハマったっつってたじゃん。夕飯それがいい」

 自由すぎかよ。しかも半年前とかパスタマシン動くかすら怪しい時期のをよく覚えてんなこいつ。小麦粉は開封してないのが2袋くらい残ってたし卵は普段食べるから必要な分くらいは残ってるはず。ソースは送られてきた缶詰のでも絡めりゃいいだろ。食えれば文句言わないだろうし。

「あ、トマト系がいい」
「なら問題ない」

 ちらりと見えた右手の指先の赤に、缶詰のパッケージの赤さを思い出した。
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