12: Whispering


 合宿も3日目になると、生活リズムがそれに適応してくる。朝はいつもより早く目が覚めるし、練習が終わってしばらくしてようやくお腹が減る。これが終わればしばらくテスト前の部活禁止期間というのもあってか自然と練習に力が入るし、周りもそんな様子だった。

「……はぁ」

 デザートの牛乳寒天を飲み込んで、空になった皿を机に置いた。
 身体が栄養を求めている感じはする。だからご飯は食べなきゃいけないと思って食べているけど、なんだか喉を通りづらいのだ。調理が普段の食事と比べて上手くないというのはこの際関係ないと思う。
 夏までに出さなきゃいけない答えが出そうにない――私の胸をいっぱいにしているのはこのことだ。

「ごちそうさまでした」

 食後の団欒に勤しむ部員たちの間を抜けて、寮の屋上まで階段を上る。人の声は考え事をするのにいいBGMではあるけど、それは話しかけられない時に限る。寮の屋上は当たり前だけど人はいないし、時折車の音が聞こえる程度だ。床に座って目を閉じて、私の背より高い柵に背中を預ける。時折通り抜ける風が頭まで冷やしてくれればいいのに。
 控えめなノックの音がろくに働かない頭に響いた。お風呂がもうすぐ閉まる? いやいやまさか、そんなに長いこと考え込んでいたわけがない。そうだったらきっと少しは感情の整理が追い付いてるはずだ。……外が冷えるんじゃないかって心配されてるのかもしれない。別に鍵をかけてるわけじゃないから入ってくればいいのにと思いつつドアノブを捻った。

「……円堂?」

 まさか彼とは、予想の斜め上だった。彼が屋上に出てくるのか、もしくは寮の中に引っ張られるか、どちらだろうかと思いながら、ドアを支えたまま立っていた。

「なにか用?」
「いや。なんか、最近元気なさそうだったからさ」

 なにか心配ごとでもあるのか、と続ける円堂は結局移動しなさそうだ。間を取って建物の中に入って階段に腰かけた。ほら、と隣のスペースをぽんぽん叩くと、彼は少し間をあけて腰を下ろした。

「円堂、サッカーは好き? 聞くまでもないだろうけど」
「もちろん、好きに決まってるさ! そういうシオンはどうなんだよ?」
「私……私はね、」

 言葉に迷って、しばしの沈黙が生まれる。合宿期間中は誰もいない3階のさらに上、屋上までは食堂の声は届かない。

「サッカーが好きかどうか、わからなくなっちゃって」

 いろんな思いが詰まった胸中から1つ取り出して隣に座る円堂の反応を伺う。膝の上の手に力が入るのを見た。けれど何を言うわけでもなく、無言で話の続きを促してくる。

「サッカーは好きよ。でもなきゃ代表に選ばれるくらい一生懸命やらないもの」

 さっきまで好きかどうかわからないとか言ってたくせに、ものの10数秒後に答えが出てしまったかのような言葉になってしまった。でもなにも解決なんかしてなくって、未だ悩み続けている。

「少年サッカーと男子サッカーの境目はどこだかわかるわよね」
「……15歳?」
「そう。私が男子と一緒に公式の試合でサッカーてきるのは、もう1年あるかないか。だからその区切りでやめちゃおうかな、とか、でもサッカーは好きだからやめたくないな、とか」

 ここのところの悩みのタネは、サッカーをやめるか続けるか。サッカーをしない私は想像つかないけど、サッカーを続ける私は容易に想像がつく。どういうシナリオが用意されているのか、私は知っている。

「……いままでサッカーするときはいつもフィリップと一緒だったの。ずっと私は少年サッカーの枠の中にいた。だから女子サッカーの場に移るのが不安で、”少年サッカー”じゃないサッカーが好きだと思える自信がなくて。どうするかって答えを夏までに出さなきゃいけないのに」

 もしサッカーを続けるなら、これから旗揚げするチームに入らないか。
 今所属しているサッカークラブのオーナーに前回のFFIの直前に言われたことだった。サッカーを続けるとしたらその旗頭になるのもやぶさかでない。そしてそう言われてしまえば、その誘いを蹴って他のチームに入るだなんて恩知らずなことができるわけがない。

「で、そろそろ答えを出さないといけなくてずっと考えてたってだけ。心配かけたならごめんなさい」
「そんな気にすんなって。そういう悩みって人に話すと頭の中でまとまったりするだろ? だからまたわからなくなったら聞くからさ」
「……そうね。ありがと」

 さながら人語を喋るラバーダック、って感じかしら――でも、円堂のおかげで悩みの方向性が具体的になった気がする。

「そうだ、イギリスのサッカーとか、シオンに聞きたいこといろいろあるんだけどさ――」
「円堂ー、あと5分で風呂のお湯抜くから早く入れって古株さんが!」
「えっもうそんな時間!? シオンは風呂いいのか?」
「ご飯の前に入ったし、寝る前にシャワーひと浴びしたいだけだから平気よ」
「そっか。じゃ、また明日な!」
「ええ。おやすみなさい」

 お湯を抜くのは8時半で、風呂場を施錠するのは9時半。あと30分くらいは悩んでられる。シンイチの声に階段を下りていく円堂の背中を見送って、階段の壁に頬をくっつけた。

「……どんなにサッカーが好きだとしても、心中はまっぴらごめんなのよね」

 いつの間にか私の双肩に掛かっていたイギリスの女子サッカーの未来とやらは、サッカー協会が私に歩ませたい道は、どう考えたって明るいばかりではない――どころか正しくサッカーとの心中だ。少年サッカーとなら一考の余地はあるかもしれないけど――

「うわぁっ!?」

 首筋にヒヤリとした物体が当たる。壁よりもっと冷えたそれは、目の前の誰かが差し出しているもので――その顔を見て、思わずのけぞった姿勢を正した。

「シンイチ……おどかさないでよ、もう」
「いや、まさかそこまで驚かれるとは思ってなくてさ。俺でよければ話聞くよ。円堂とバトンタッチって感じで」
「……イギリスのサッカーについて?」
「イギリスの女子サッカーについて」
「それなら話せることはなんにもないわ」
「なんにもないのに心中なんて単語は出てこないだろ」

 シンイチが私に差し出したのとは違うペットボトルのフタを捻る。プシュッと音がした。……彼が飲むものにあれこれ口出しする気はないけど、この時間に炭酸なんか飲んでいいのかな。私が受け取ったペットボトルはちゃんとミネラルウォーターだ。確かこれは外の自販機で90円で売っているやつ。それやるから話せよと言外に言われているような感じがして、溜め息をついて口を開いた。

「……”なんにもない”の。遠い昔に規制されて、それが撤回されたのはつい最近。女子のプロリーグはこれからできる、予定。確か3年後にって計画のはず」
「規制?」
「そう。女子サッカーチームの会計が不透明だって難癖を付けたり、女子サッカー選手は子供を産めないなんて根拠の乏しい論文を発表させたりしてサッカーの場から女性を排斥しようとして――まあともかく、ごく近年まで女子チームは公営のグラウンドを借りることもできなかったの」

 うっすらと結露し始めたペットボトルを雑にジャージの袖で拭って、ふたを開けた。シンイチの唾か炭酸かを飲む音が静かな階段に響く。それに重ね合わせるように私も水を口に含んで――90円分の話をする覚悟をした。

「私の祖父が学生サッカー協会の理事をしていて――サッカー協会もその規制を撤廃する時期を見計らってたんでしょうね。私がサッカーをやりたいって言いだした年に禁止令を解除することになったの。それが今から10年前のこと」

 私がサッカーに興味を示してなければ今も禁止されてたのかもしれない。そう考えると、少し――ほんの少しだけ、復活のきっかけとなった私にはこれからを背負う責任があるのかもしれない、と思う。

「そのきっかけとなった人は本当に凄くて、今や少年サッカーのトッププレイヤーと呼ばれているわけなのだけれど――最初にナイツオブクィーンの一員として選んだのにはきっと、”その女の子を自国の女子サッカーの再興の象徴として祀り上げよう”っていう打算が少なからずあったんじゃないかしら。もしくは、”自分たちは規制を撤廃しただけじゃなくて、きちんと女性プレイヤーの育成に力を入れていますよ”っていうアピールとして」

 当時のサッカー雑誌は、イギリス代表に選ばれた私のことをそう評した――今の私は、ちゃんと実力で選ばれている、はず。でもなきゃリトルフェアリーなんて大層な呼び名をつけてもらえないし、そもそも他国のメディアは実力のない選手に注目しない――2年目からは、きっと。
 絶対にそうだと言い切れない心を鎮めようと、半分くらいに減ったペットボトルを放り投げる。手元に返ってくるのと同時に水音。被ったわけではないけれど、頭が冷えるような気がした。

「その甲斐あってか、最近は女子のアマチュアリーグができたり、少年サッカーの大会に何人か女子選手が出場してたり、女子サッカーは徐々に世間に受け入れられるようになってきたの。そして私が少年サッカーから卒業するのに合わせて女子のプロリーグを設立しようとしている――イギリスの女子サッカーについて話せるのはこの程度よ。……本当は言っちゃいけないことまで喋っちゃったから、誰にも言わないって約束してもらえるかしら?」
「あ――ああ。って言ってもこんな話、喋る相手もいないって」
「それじゃあ、話はこれで終わりね。お風呂上りにずっとこんなところいると身体が冷えるだろうから、シンイチは早めに食堂の方に戻ったら? 円堂を待つならそっちの方がいいと思うわ。じゃあおやすみ、シンイチ」

 私がここにいたらきっと真横の相手は退館時間までどこかに行ってくれはしないんだろうな、と思って立ち上がって矢継ぎ早に言葉を投げつけた。彼がどこにも行かないなら私が1人になればいい。幸い屋上へのドアは開き戸だから体重を掛ければ生半可な力じゃ開けられない。少ししてから扉の向こうから聞こえた「シオンも、おやすみ」という声にこぶしをゆるく握った。


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