あなたの幸を希う

 隣の一家に暮らす人間が九人から八人になり、少しして八人から二人になった。そして二人とも家を離れ、隣の家に明かりが灯ることはなくなってしまった。片方――兄の実弥は小さな荷物をまとめてこの街を発ったし、弟の玄弥は隣の我が家に居候することになったからだ。

「……なあ、名前」
「なあに、玄弥」

 仰向けに寝ていた頭を隣の玄弥の方に向ける。幼い頃にもこれくらい近く布団を並べて寝たことを思い出した。本当はもうこんな風に隣り合わせて寝る歳ではないけど、そのくらい近くないとどこかに行ってしまいそうで怖かった。本当は彼の存在を確かめたい右手を布団の中で握った。

「……俺が兄ちゃんに人殺しって言ったの、覚えてるよな」

 頷きを返した。そうだ、私は玄弥の叫び声で目を覚ました。血で汚れた二人と、二人の母親がよく着ていた着物が明け方の街中にいた。お母さんの影も形も見えなかったけど、玄弥が言うならそうなのかもと思った。実弥さんがそんなことをするはずがないとも思った。二人とも傷だらけで血塗れで――怖くてすぐ目を背けてしまった。
 心臓の音が頭まで届くくらい騒がしい。あの朝と同じ感覚。心臓が私の全部を飲み込んでしまうんじゃないかという、あり得ない想像までしてしまうくらい。布団の外に伸ばした手が、外の寒さを感じなかった。

「そのときは混乱しててああ言ったけど、本当はそうじゃなくて」
「……玄弥」
「母ちゃんがいつもの母ちゃんじゃなかったんだ、だから」
「ねえ、玄弥」
「兄ちゃんは俺たちを守ってくれたんじゃないかって、ああするしかなかったんじゃないかって」
「玄弥、」
「――だから俺、兄ちゃんに謝りたいんだ」

 中途半端に畳の上に投げ出していた手を握られた。その手が熱いか冷たいも感じられない。
 実弥さんはもうこの街にはいないし、帰ってくることもないだろう。玄弥は兄の消息が掴めたらきっとその跡を追う。本当はずっとこの街にいてほしいし、行かないでほしかった。

「……そ、っか」

 玄弥の手を握り返すと、その手を引かれた。敷布団どうしのほんの少しの隙間なんて気に留めず、そのまま玄弥の布団に引きずり込まれる。背中に玄弥の腕が回り、ぎゅっと抱き竦められた。自由の効かない腕をできる限り動かして彼の脇腹を撫でた。
 彼の呼気が肩に触れる。最初は熱く荒かったそれが、回を重ねるごとに穏やかに、浅くなっていく。殆ど寝息になった頃に、囁くような呟くような声が聞こえた。

「どこにも行かないでくれ、名前……」

 いなくなるのは玄弥でしょ――とは、言えなかった。

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