アイスとサイダー

「はい、なまえちゃん」


どこか弾んだ声と共に視界に入ったのは、半分に折られたアイスであった。ラムネ味のそれは学生の懐にも優しい安価な品で、ただなまえは、声の主がそのアイスを購入したことに小さな驚きを抱いてしまう。どんなイメージだよと笑われてしまいそうだが、この人は二百円近くするアイスをなんの躊躇いもなく買ってしまいそうな気が、していたから。


「……」
「目を丸くしてないで、受け取ってくれると嬉しいな?」
「……。ありがとうございます」
「うん。どういたしまして」


アイスの差出人――羽風薫を見れば、当然彼の手には片割れが大人しく収まっていた。この暑い中、半分でいいのだろうか。額から伝う汗を感じながら、思う。

しかし薫は受け取ってくれると嬉しいと言った。ならばいいのだろう。そう納得してアイスを口に入れれば、ひんやりとした感覚に思わず笑みが零れる。心なしか薫も、嬉しそうだ。


「美味しい?」
「…はい」
「そ。よかった」


隣いい、という問いに頷くと薫はまた嬉しそうに笑ってなまえの横に腰を下ろす。「美味しいねぇ〜」と響くその声もやはり嬉しそうで、同じように頷けば鋭さなんて微塵もない瞳に見詰められてしまい落ち着かない。

初めて顔を合わせた日、ユニットで行った執事喫茶。その際の薫の目というのは、間違いなく獲物を狙う獣であった。あれは狩人ではない。本能的に食べられると思ったのだ、いやらしい意味だとかそうでないとか、まあそんなことは関係なく。それを警戒だと薫は言う。嫌ってはいないが警戒している、と。

なんて自信だと唖然としたが、確かに。英智に呼び出され向かったゲームセンターで見た薫は元気がなく、そんな彼が気になったのも髪に触れる行為が嫌ではなかったのも、心底薫を嫌っていたわけではなかったからなのだろう。凝り固まっていたマイナスの感情さえそこで薄れてしまったのかもしれない。決して、プラスになってはいないと思いたいけれど。


「ほんっと、毎日暑いよね〜。ぐったりしてたよ、後ろ姿」
「…毎日暑いので」
「なのにこんなとこにいたの?校内は涼しいのに」
「羽風先輩だって、外にいます」
「君の姿が見えたからね〜。アイスの差し入れでもして、ついでにちょっとお喋りしようって」
「…はあ」


涼しい校内から外にいるなまえを見付けて、わざわざ購買にアイスを買いに行ったのか。薫の物言いは、薫本人が食べたかったというよりはなまえに渡すことが本目的であったように聞こえるのだが。

――いや、事実、そうなのだろう。

薫はアイスを食べることよりもアイスを口にするなまえを見ることの方が大事らしい様子だし、「もうちょっと食べる?」と幸せそうに問うてくる。


「羽風先輩が食べてください。私は充分なので」
「そ?ま、そう言うなら仕方ないね。あんまりしつこいのもアレだし」
「…髪、結ばないんですか?」
「髪?…あ、もしかして、結んだ俺の方が好み?だったら結んじゃおっかな〜それとも、なまえちゃんが結んでくれる?」
「好みとかそういう話じゃ…いいです、もう」
「拗ねないでよ」


自分の膝を支えにして肘をつきながら、薫は小首を傾げてなまえを見る。その瞳は、キラキラと輝いているではないか。ギラギラではなくキラキラ。実年齢よりも幼く見えてしまう輝きに、なまえはうっと息が詰まる。上手い調節の仕方が、わからない。


「――…拗ねては、」
「あれっ?」
「…何ですか?」
「なまえちゃん、飲み物持ってたんだ」
「のみも、あ、…はい」


何とか絞り出した言葉を気にしてもいない、少し高くなった薫の声にも一瞬動揺して、言葉を受け止めることに時間がかかった。

飲み物。自分の中でも反芻し、なまえは足元を見る。


「…サイダー…」


零れた言葉の通り、なまえの足元にあるのはサイダーだ。ほんの少し前に自動販売機で購入したというのに、ぼんやりとしすぎて忘れていた。


「大丈夫?熱中症とかじゃない?…顔、触ってもいい?」
「駄目です」
「変な意味じゃないのに。ほら、こんな暑いところに座ってるからだよ」


薫の手が頬に触れる。顔にかかった髪を払うことが目的だったのか、なまえに触れることが目的だったのか。初めからそうする気であったなら尋ねる意味はあったのだろうかと思うが、羽風薫はそういう部分のある人間だ。肌に触れる指先や腹が優しいからと、ほだされてはいけない。


「一口もらっていい?」
「えっ?」
「サイダー。喉乾いたんだよね」
「……どうぞ」
「うん、ありがと〜」


なまえに触れた手がペットボトルを拾い上げる。だからどうだ、というわけではないけれど。汗を掻くことすらなくなったペットボトルだ、表面も中身も酷くぬるいだろう。


「…うっわ、ぬるいね〜。不味い、飲まない方がいいよ、なまえちゃん」


炭酸もちょっと抜けちゃってるし。言いながら蓋を閉めて、またなまえの足元へ。飲まない方がもなにも薫が口をつけたのだ。飲みにくい、と思ってしまうのは、なまえが意識をしてしまっているからだとでも。


「――…あ、」
「ん?何か言った?」
「……。いいえ、何も。本当に、全然」
「そう?」


首を傾げた薫は本当に不思議そうに目を丸くしてなまえを見る。そんな、深い意味などないだろう視線にすら動揺してしまって、つい組んでしまった手を握り、視線を逸らしてしまった。これでは、ああ。終いに「あれ?」なんて喜色の滲んだ声が耳に届いてしまったから、馬鹿みたいに素直に、体は揺れる。


「もしかして間接キス?開いてたしね、ペットボトル」
「――……。…、飲んでませんから」
「そうなの?ざぁ〜んねん。中身減ってた気もするんだけど、違うのかぁ」
「違います」
「うん、違うんだよね?」
「…なんですか」
「ん〜?いやいや、やっぱりなまえちゃんは可愛いなぁと思ってさ?」
「………、…」


ああ、息苦しい。
息苦しくて、それに何だか、泣きたくなってきた。



end.

20160916

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