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「さて、行くか」


柔らかな微笑みを浮かべた宗茂さんに言われ、ちくりと胸が痛んだ気がした。

大社で待っている、と言い残して去っていった阿国さん。旅に出ると決めていたらしい宗茂さんは、ついでだから私を出雲大社に送ってくれるという。


「宗茂さん」
「何だ?」
「何を買ったんですか?」


馬に乗るのも慣れたもので、宗茂さんの腰に手を回しながら尋ねてみる。笑うだけで、宗茂さんは答えてくれない。


「ほら、もうすぐ出雲大社だ。そこで教える」
「私にくれるんですか?」
「ああ」


宗茂さんからの贈り物。
そうか、だから待ってろなんて言ったのか。宗茂さんが私に馬を任せることなんてなかったから不思議だったんだよね。


「漸く、親や友人に会えるんだな」
「はい」
「よかったな、なまえ」
「……はい」


よかった。
確かに嬉しいけど、もう宗茂さんには。宗茂さんがギン千代さんと幸せに、平和に暮らしてくれたらそれでいい。そう思えるようにはなった、けど。


「お前は嫁ぐから辞める、という話になっていてな」
「ああ、だから」
「ここからは歩くぞ」


上手くやるんだよ、と背を押されたのはそれだったのか。実際にそんな相手がいないことを思えば、少し虚しいような気も。


「宗茂さん」
「ん?」
「私、嫁げるように頑張ります」
「頑張る?…そんなに大変なのか、なまえの生きる時代は」
「よりけり、です」
「よりけりか」


最初に宗茂さんが送ってくれたときとは違う不安。この背中も、声も。もう二度と、見られない。


「なまえ」
「は、はい、」
「櫛、交換しようか」
「え?」


取り出した櫛を差し出して変わらず微笑む宗茂さんに、何を言えばいいのかわからなくなる。別れを招くと言っていた。だから避けたかったと、以前。


「…なんで」
「いいから。巫女さんになまえを預けたら行くつもりなんだ、時間がない」
「確かに帰りますけど、」
「なまえ」


強さもありながら優しさも感じる声色。突き放すつもりでないと、実感する。


「……わかりました」
「うん」
「どうぞ」
「ありがとう」


宗茂さんが買っていたのは櫛だったのか。しかも、私に渡すことが前提だから女性向けのデザインの。

どんな気持ちで選んだのかな。私は、少しでも宗茂さんの心に残れるのかな。


「なまえ、巫女さんだ」
「あ」
「…どうした?」


少し先に立つ阿国さんはとても神秘的で。そっと促す宗茂さん、ぐずぐずしている時間はないんだと、急に感じはじめる。


「い、いえ」
「なまえ」
「…はい」
「櫛は別れを招くと言われるが、魂の宿る頭に飾るものでもあってな。自分の分身として渡すこともあるんだ」
「分身?」
「肌身離さず持っておけ。俺もそうする」
「――えっと…」


分身って、どういう。
宗茂さんの意図が読めなくて困惑していると、心底面白そうに声を上げて笑われる。


「あの、むねし――」


完全に言葉を紡ぐ前に抱き寄せられて、思わず声を失った。全身を覆う熱、嬉しさに恥ずかしさ、苦しさ。色んな感情が溢れ出して、止まらない。


「え、あ、の…?」
「これがあれば、俺はお前を忘れない。絶対に」
「……あ」
「なまえもだ」
「それは、はい。でも宗茂さんは」
「忘れないさ」


私を離す前に、そっと額に口付けをくれる。高鳴る心臓は宗茂さんに伝わっているんじゃないかと、小さな不安に襲われた。


「宗茂さん」
「大丈夫だ」
「好きです。大好きです、宗茂さん」
「ああ。…ありがとう、なまえ」


縋るように掴んでいた腕から手を離し、阿国さんへと向き直る。

櫛があるから大丈夫。
関ヶ原ではあんなに不安だったのに、今は自然と信じることが出来た。会えなくなってしまうけど、大丈夫だ。


「元気で」
「宗茂さんも、ギン千代さんに手紙を出してあげてくださいね」
「出すさ。一生帰らないわけじゃないしな」


行かなくちゃ。
背中に触れる掌は、ちっとも冷たくなんてない。



20111122

第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
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