「三方ヶ原?」
「はいな」
突然現れた阿国さんは、寸分違わぬ不思議な空気を纏っている。
落ち着いた声が告げたのは「関ヶ原は豊臣方の勝利に終わり、三方ヶ原で決着をつけるらしい」という信じられない言葉だった。ギン千代さんも阿国さんを私のところへ連れてきたかと思えばすぐに出て行ってしまったし、恐らく宗茂さん、豊臣方の将と合流するつもりだったのだろう。
「何や納得いかん、言うような顔して。どないしやったん?なまえちゃんの知ってる結末と違う?」
「…はい」
「なまえちゃんが来たから変わったんやろか」
「え?」
「冗談や。そないなこと、誰にもわかりません」
宗茂さんも無事だと聞いたとき、全身の緊張がすべて抜けて立っていられなくなった。鋭さを保ったままのギン千代さんの口元にも小さな微笑みが浮かんでいて、「あいつなら当然だ」という声の柔らかさに、私は更に泣きそうになってしまったのである。
「勢いもついてるし大丈夫、ギン千代様かて一緒なんや。少し待ったら元気な二人に会えますよって」
「なら、信じて待ちます」
「宗茂様も喜ばはるわ」
「そうだといいです」
さてと。
気持ちを改めるように吐き出された言葉にゆっくりと一回、瞬きをする。阿国さんは笑顔のままだ。
「なまえちゃん。今日は伝えたいことがあって来たんよ」
「…伝えたいこと?」
そしてそのまま頷いて、口を開く。まるで魔法にかかったかのように阿国さんの声以外を拾わなくなった耳。抜けたはずの緊張が、戻ってくる。
「なまえちゃんが生まれた時代。そこに帰れるんよ」
一番に生まれた感情は、喜びだ。
20111121