私にとっての空を失いたくはない

心が逸って落ち着かない。
何とか鎮めようと庭園を往復してみるけれど、まったく効果はないらしい。

普段いらっしゃらない時でもこんなに不安にはならない。苦しくて、泣き出してしまいそうな程怖いのは、耳にしてしまった言葉が原因だ。曹操様が董卓の下へ向かった。その一言は、私を震え上がらせるには充分過ぎる。


「どうぞ、お休みくださいませなまえ様。お顔の色が悪うございます」
「お前、曹操様はご無事かしら」
「なまえ様、貴女が案じていらっしゃるのはあの曹操様。変わらぬ姿をお見せくださいますよ」
「ええ、ええ。ああでも落ち着かない、悪いのだけれど、私はもう暫くここにいるわ」
「でしたら、何か掛けるものを用意して参ります。お待ちを」


揖礼をし引き返した女官を見送るのもそこそこに、再び足を動かしはじめる。

私の我が儘を咎めたいだろうに、あの子は何と優しいのか。こうして甘やかされてはますます増長してしまいそうだわ。「おぬしのその愛嬌は一種の毒よ」と苦笑を交えておっしゃった曹操様。過ぎる声と表情に甘さと苦さ、反するものが同時に溢れ出す。


「…曹操様」


がさり。
草木を揺らす音に期待して身体を向けたけれど、そこにいたのは鳥。愛らしく鳴き、柔らかな羽を繕っている。


「曹操様、」
「狂おしい声で鳴く鳥もいたものよ」
「っ、」
「恋しい存在があったか、なまえ」
「そうそう、さま」
「やはりここは狭い。わしが使わぬ故に剪定を止めたか、なまえ」
「それはだって、曹操様。曹操様はもう、堂々と訪ねにいらしてよろしいのですから、」
「趣よ。時折おぬしの驚いた顔を見たくもなる。その後すぐ綻ぶ様も、好ましいのでな」


肩に乗った葉を取ろうと伸ばした指に絡んだのは曹操様の手。伝わる熱に、微笑みを湛えた眼前の人が幻ではないのだと確信した。

曹操様。確かに曹操様は、いらっしゃる。鼓動を鳴らし、熱を持ち、生きて私のところに。


「泣くか。涙を流すよりもわしを呼ぶ声を聞きたい。囀ってはくれぬのか?なまえ」
「無理を、おっしゃらないでください!安心して、喜びが溢れて、囀ることは、難しゅうございます」
「それはそれで愛らしい。おお、酷い顔をしよる。わしを見ぬかなまえ。その顔でわしを安心させよ」
「なんと意地のお悪い…!そうですわ、曹操様。こちらには、お一人で?」
「そうよな」


私の頬を撫でる曹操様の掌。生きた心地が、する。このお方に出会ってからというもの、心安まる時が減った。戦に出たと聞けば身を裂かれそうで、無事に戻ったと聞いては涙を流す。私の生は、曹操様とあるようなものだ。


「なまえ様!夏侯惇様と夏侯淵様が、曹操様もご一緒にいらしたようなのですが――…まあ!」
「すまんな。顔を出すつもりではいたらしいが、何処ぞに消えよって…おい」
「殿!?一体全体どっから入ったんで?……と、いうか。邪魔、ですわなあ?俺ら」
「そう思うのであれば、茶でも啜っておれ」


あたたかい掌に頬を擦り寄せると、穏やかな瞳が私を捉えて微笑んだ。



end.

20120106

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