どうかあなたに優しい夢を

蹄の音だ。
顔を音の方へ向けると、微かに人の声も聞こえて来る。誰か訪ねる予定があれば朝に聞かされるはずだから、予定にはない方。そもそも街から外れたこの地に好んで足を向ける人間は、旅人と私を知る商人くらいのものだ。道に迷った方も時折、ああどうしたものか、私には確かめる術がない。


「あの、申し訳ございません。私ではお構いが、」
「わしは曹孟徳と申す者。主人なまえ殿にお会いしたく参ったのだが、おられるか?」
「――曹操様?」


何と、久しく耳にする名だろう。かつて何度もその名を聞いた、その方の導きで出会った方がいた。しかし曹操様は易々とこのような場所に訪れる暇はないはず。私の疑問は、正体が判明したことで一層深くなる。


「…おお、答えたのが正しくおぬしであったか、なまえ」
「はい、私です」
「あれ以来か。いや、しかし変わらぬ」
「まさか。老けてしまいましたわ、あれから」
「わしにはとんと――…同じことを言う、きっと」
「…そうでしょうか」
「ああ、そう思う」


曹操様の声色は何かを懐かしむようで。誰がなどと口にはせずとも、誰を示しているかは互いに理解している。本日いらしたのは曹操様お一人、あの方は、郭嘉様はどちらにいらっしゃるのだろう。


「曹操様、本日はどういったご用向きが?通りがけに思い起こしてくださったのならば嬉しゅうございますが」
「うむ。今日はおぬしに渡す物があってな」
「私に?そんな、曹操様自ら私に――…」
「わしでなければ意味がなかった。わしがここに来たいと、わし自身が来ねばと、そう思うたが故よ」


これをと、そう吐き出した曹操様は私の手を取ると何かを乗せる。馴れない感覚、疑問が滲んでいたのか微かな曹操様の笑い声が聞こえてきた。


「文を。わしの一存で決めたことではあるが」
「私に?」
「――…郭嘉が、おぬしに宛てたものだ」
「郭嘉、」


曹操様を前にしているというのに、私が気にしているのは郭嘉様のことであった。約束を交わしたわけではなく、明確な形を残したわけでもない。今思えば、ほんの一瞬の出来事と称しても差し障りのない日々。そう感じてしまうのも、郭嘉様と過ごした一日一日が私にとって貴いものであったが故なのだろう。


「…これは、わしの勝手でしかない」
「……いいえ」
「おぬしには、背負わせてはならぬものを与えてしまったのやも知れぬ。…郭嘉も望んではおらぬ。ただわしが、無理にでもおぬしに託したいだけで」
「いいえ、曹操様。郭嘉様は、何と?」
「…言葉には出来ぬ、伝えきれぬ感謝と想いを。なまえ殿を忘れることはありません、と」
「…そうですか」


郭嘉様は、私には誰かに包まれて生きてほしいとおっしゃった。私を想う誰かに慈しまれ、そんな誰かを、私にも想ってほしいと。


「――なまえ」
「はい」
「わしは、郭嘉を忘れることはないだろう。忘れられるはずがない。…それを」
「はい」
「おぬしにも、願いたい。望まぬとは言え、喜びに変わりはないはずだ」
「そのような、曹操様に願われずとも、私は」


郭嘉様は、私を想っていると伝えてくださった。私を想う誰か、私を想ってくださる郭嘉様。その誰かを、郭嘉様を、私も。


「…他でもない、郭嘉様の願いなのですから」


郭嘉様。
私も言葉には出来ぬ、伝えきれぬ感謝と想いを貴方に。私は貴方を、郭嘉様を、心からお慕いいたしているのですから。



fin.

20130608

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