世界でいちばん近くに居るのにあなたの鼓動が聞こえない

目前で二の足を踏むのはなまえ殿への気遣い、そう思っておけば随分と楽だ。私はなまえ殿の暮らしの流れを知らないし(それなりに共にいた、というのに)、朝は一人の時を重んじる方なら私の行動は無粋以外の何物でもないのだから。


「………」

言葉を話すのならば愛馬は何と言ったのだろう。まるで助けを求めたようで馬鹿らしい。つくづくわからないものだ、なまえ殿と関わった私というものは。

「…うん、他ならぬ私自身だね」


今日発つことは伝えた。このまま黙って消える、もしくは女中に言伝をして立ち去ってもよかったのに。


「――…なまえ殿」

情けなく掠れた声、届くのかも疑わしい音量。いっそ無礼だと謗られたら楽なのに、生まれた好意というものはなかなかそれを許容しない。答えてもらえるのならそれでいい、答えてもらえないとしても、それはそれでいい。顔を見て話を、その決意はどこへ行ったというのかな。

「私は」


戸に手を添えて、それ以上は踏み込まないように。これから口にすることを面と向かって聞かれるのは、どうにも心地がよくない。


「女性は、守られるべきとは思いません。自ら武を示す女性もまた魅力的なのだと、感じていて」

独り言になるのだろうか。それにしても唐突な言葉だ。独り言ではないならなまえ殿はどんな想いを抱いているのか、直に触れずとも伝わる手立てがあればいいのにね。

「…けれど」


気配を探るのは止そう。
これは私の戯れ言、ならばただ口にしたいという我が儘が加わったところで大差はない。


「けれどなまえ殿、あなたにはそうあってほしくないと思うのです。あなたの身体が、という話ではなく――…あなたには、誰かに包まれて生きてほしい。あなたを想う誰かに、慈しまれて生きてほしい」


例えばずっと側にいる女中、時折やってくるという商人。なまえ殿を快く思う誰かに守られていてほしいんだ。陳腐な考えかもしれないけれど、なまえ殿には戦の子細を知らぬままでいてほしい。子供のようとは望まないけれど、私と比較したらずっと無垢なままでいてほしいと強く思う。


「それから。そうしてあなたを想う存在をあなたにも想っていただけたら、これ以上にない幸福です」

女中を、商人を、曹操殿を。そして欲が許されるのなら、私を。

「――…私は私の務めを果たします。私が願って止まないことですから。…なまえ殿、ありがとうございました」


なまえ殿を慈しむのは私の役目ではない。それはまあ、悔しいけれどね。



20130207

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