例えばこれが恋だとしても

声ではなく扉を叩くことで来訪を知らせると室内で人の動く気配がする。私が立っているのはなまえ殿の部屋の前、気配はなまえ殿なのだろうけど、ひょっとしたら女中が寝所を整えているところなのかもしれない。顔を覗かせるのが女中であれば渋い顔をされるのだろう。ああ、「そこまで許した覚えはない」と言われるのも面白いかな。


「…はい?」

怖ず怖ずと、微かに残った勇気を寄せ集めたような声。笑みが零れたのは微笑ましさからだ。中にいるのはなまえ殿に間違いない。それによくよく聞けば擦れる音、彼女は一人で部屋にいて、しかも休むところだったらしい。

「…私だよ」
「――郭嘉様」


ここを訪れる人間、ましてや泊まる人間はいないに等しいのだからすぐに私だと気付いて不思議はない。喜ぶことでも誇ることでもないというのに、まったく単純な心だよ。初めて恋を知ったような、私にしては気味の悪い疼きだ。


「何か、今ここには私しか…」
「だから訪ねてみたのだけれど」
「……えっと」
「おや、そこまで初な反応をされるとは」
「郭嘉様、お戯れは」
「戯れではないよ。入っても?」
「えっ?私、」
「期待はしたいけど無理強いもしない。入ってすぐ床に座るから、ね?あなたはそのままで構わないし」


躊躇う、恥じらいの混ざったその反応は心地いい。やがて響いた「どうぞ」の声は本当にか細くて、何だか酷く悪い男になった気さえ引き起こす。普段ならばこんな風に手間の掛かる女性の相手をすることはないのだけれど、どうしたことかなまえ殿とのもどかしい関係というのは、切り捨てる気にならないのだ。


「……郭嘉様」
「うん?」
「いっ、いいえ!いらっしゃるのかと思い…」
「おや。それならば触れてみようか?」
「いいえっ!」

勢いよく首を振ったのだと暗闇の中でもわかる。許可がないのなら仕方がないね。手に触れるくらいはしたかったのが本音だけれど、駄々を捏ねるような性分でもないし。

「それとも、その方がいい?」
「な、何が?」
「何でもないよ」
「郭嘉様…」
「暗闇なのが残念だ」


困惑するなまえ殿の表情は好きだから眺めていたい気持ちもあったのだけれど。まあそう長居をするつもりはないし、なまえ殿に心労を与えるのも本意じゃない。ぐずぐずと居座っては面倒なことになる恐れもあって、まあ何より。引き際を弁えない男は、褒められたものではないからね。


「…ゆっくりとお休み、なまえ殿」
「ええ、それは。お気遣い感謝いたします」
「うん。さて、私も休もうかな」
「郭嘉様」
「どうかした?」
「郭嘉様はお疲れではないですか?」
「何も考えずに休むことの方が苦手でね。つい頭が働くよ」
「あまり休めてはいないということですか?」
「変わらず休めているよ。安心して」
「…郭嘉様」


私を呼ぶ声に違いはあったのか。その明確な答えを示すことは出来ないけれど、心臓が一個の生き物のように飛び跳ねたことだけは、揺るがない。



20120814

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