約束はもう守らなくていい

「私の主、なのですが」


耳飾りから手を離し言葉を零すとなまえ殿が顔を向ける。動きに合わせて微かな音が鳴り、それに彼女は口元を緩めた。


「特徴、教えていただけるのですか?」
「…曹孟徳、それが主の名です」
「曹、孟徳…」
「こちらに伺う前、我が主と酌み交わしていたのですが。…庭の花をお持ちだったものですから」
「その方の?」
「いいえ、こちらの。あなたのご両親が愛娘によく似ていると口にした、花を」
「………」
「お話しいただけますか、なまえ殿」


もっと困るものと思ったのだけれど、なまえ殿は殊の外余裕があるらしかった。何れはそうなるものと踏んでいたからか、曹操殿と事前に取り決めていたからか。私にはないものを二人は共有しているのだと、改めて見せ付けられた気分だ。


「――…私は」

余裕、諦めとも言えるだろうか。届くなまえ殿の声色は、少しばかり弱々しい。

「郭嘉様のことを、存じ上げておりました」
「…はい」
「曹操様が拙宅にいらしたのは休息のため。偶然いらしただけで、何も以前から目を掛けていただいてはおりません」
「そこで、私を?」
「はい。幾つか言葉を交わしたところ、郭嘉様のお話が。是非とも会ってみてほしいと仰せでした」
「…だから曹操殿は」


美しい女がいる、女を訪ねる際には一人で。何より自らが望んだにしては薄い反応。認めることを渋って引っ掛かり続けていたものが、漸く流れ出した心地だ。


「曹操様は、深く郭嘉様を案じておいでで」
「どのようなお話をなさったのか、実に興味深いですね」
「…ですから私は、郭嘉様にお会い出来た日はとても嬉しかったのです。曹操様のおっしゃる郭嘉様は理知的で主を尊び、品行に難はあれ、人間として魅力のあるお方でしたから」
「ありがとうございます。そこまで言われるほどの人間かどうかは…」
「少なくとも私は、受けてよかったと思っております。郭嘉様と出会うことが出来てよかったと、そう」


また、音が鳴る。
なまえ殿を彩る飾りはその姿によく似合っていて、そんな些細なことに優越感を覚える自分がまるで幼子のように思えた。

別に曹操殿は彼女を養おうとしているのではない。元々、私と彼女を引き合わせることが目的だったのだ。私が誘っても断りはしないのに度々苦言を呈して。なまえ殿に会うことが品行を正すことに繋がるのかは、流石にわからないけれど(女性と会う機会は減ったかな)。


「……纏めてしまえば、それだけの話なのですが。申し訳ございませんでした、郭嘉様」
「黙っていたこと、ですか?」
「呆れるのも苛立つのも当然。どうぞ、悪いなどと思わずぶつけてください」
「………」
「騙していたことに変わりはありません」


贈った飾りがこんなにも似合うのに、肝心の女性の表情が浮かないのならば意味がない。着けてほしいと懇願した一時のように、私を想って笑ったり恥じらったり――私はなまえ殿のそんな姿を、見ていたい。


「――…でしたら」
「…はい、何なりと」
「帰るところもないので、暫くここに置いてください」
「えっ?」
「曹操殿から既にお聞きでは?私も命じられた身、簡単に戻ることは出来ないのです」
「…ですが、」
「曹操殿の許しがあるまで。なまえ殿と共にあることが、我が主の願いなですから」
「……仰せ、ならば。よろしくお願い申し上げます、郭嘉様」
「こちらこそ」


そして、私の願いもまた。



20120511

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