きゅう、と胸が鳴いた

「感謝申し上げます。それから、ご健勝であられますようにと」
「畏まりました」


墨の匂い、暫くして筆を置いた音がする。あとは墨が乾くまで待ち、使者に手渡すだけだ。

時折こうして不足せぬようにと衣や食物をいただくことがあるけれど、何故あのお方は深い仲でもない私をこうも気にかけてくださるのだろう。身に余る数々のご行為、恐れ多くも賜る「感謝している」というお言葉。感謝の念を抱いているのは私だというのに、何もお返しを出来ていないというのに、どうして。


「…本当に、何も必要ないのかしら」
「そのように書かれておりました。ただ今のままあってくれればよいと、時が訪れるまで変わらずにいてくれれば、それで充分であると」
「そう」


ただ今のままで。今のまま、言葉を交わし続ける。そうして変わらぬ日々を過ごしていくことを、あの方は望んでおられる。ならば私はそのお心に添うだけ。そうは、思うのだけれど。


「…なまえ様?」
「どうかした?」
「いいえ。浮かぬご様子でしたので」
「そう?…そうね。確かに少し、気落ちはしているかも」
「従うことが出来ぬやも、と?」
「顔を合わせたら言葉を交わす。それを繰り返すだけなのよね、私に望まれているのは」


風に乗り、花の香りが運ばれてくる。自然と庭へと動く顔、「ああ」と何かを思い出したような声が響いた。


「花を寄越してほしいと、そう仰せでした」
「どの?」
「なまえ様に似ているという花を」
「…何故、そのような」
「さて。数本届けさせましょうか」
「枯れてしまわない?」
「では生花とは別に、花弁を書簡に忍ばせておきますか?」
「そうね…」


思案をしていると不意に蹄の音が届く。ああ、この扱い方は。


「戻られたみたい」
「乾くには今少し…」
「少しばかりお待ちいただきましょう。お通しして差し上げて」
「はい。――…そうですなまえ様、もう一つ」
「何?」
「共に過ごしてはもらえぬか、とも」
「え?」


跳ねた心が示すもの。
意識するほど騒がしく、思わず胸元を強く握った。



20120502

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