ゆるやかにのびる、愛しさになる

「ひゃっ!?」


突然全身を襲った冷たさに、つい頓狂な声が飛び出す。もう出てしまったものはどうしようもないけれど、思わず口を押さえてしまった。


「マスター?」


意味もなく黙った後に響いた声。すっかり耳に馴染んだ、少し低めの、落ち着いた。


「…アリ・パシャさん?」
「妙な声だが、何かあったのか」
「あ。シャワー、急に水になったので驚いただけで、問題はないです」
「――…ああ。だから言っているだろう、とっとと改築しろと」
「……でも、そう易々受けとるわけには」
「くだらん。マフムトにしてみれば宝石なぞ無価値に等しい、ならば価値のわかる者が使ってやるのが道理だ。何よりあいつはお前にと差し出しているのだから、それを有効活用するだけの話ではないか」


ふと恭遠さんの顔が浮かび、シャワーの口を捻る。私以外の利用者はいなかったらしく水の流れる音はなくなった。そうなると、今外にいる存在をつい意識してしまう。何だか落ち着かない。アリ・パシャさんには何の意図もないだろうに。


「あと、その妙な声も控えることだな」
「え?」
「俺様だからいいものを、シャスポーやらブラウン・ベスなら扉をこじ開けるかもしれんぞ」
「さっ、さすがにそれは。基地内ですし、シャワー室ですよ?」
「基地の人間全てが味方であると?こちらと同じく、世界帝軍のスパイがいないとも限らん。そいつらにしてみれば都合のいい密室、加えて貴銃士には、お前の声ひとつで視界も思考も狭まる輩が多いからな」
「……。気をつけます」
「アリ・パシャ様?誰と話して――…マスター?」


雑談と呼べるのかもわからない会話の中にひとつ声が増える。最初はアリ・パシャさん、それから私に。そこにいるだろうエセンの名前を呼ぶと、淡々とした返事があった。


「マスターも作戦から戻っていたんですね。……シャワー、浴びないんですか?」
「今止めて…ほら、水も有限だから…」
「成る程。アリ・パシャ様は…?」
「汚れを落とそうと来てみれば、不可思議な声が聞こえたものでな」
「はあ。……なんと言いますか」


アリ・パシャさんの顔も、エセンの顔も見えない。こういう状態での会話は想像以上に不安になるものだ。アリ・パシャさんはエセンの言葉を待っているのだろうか、また、沈黙が流れている。


「そろそろ混雑するでしょうし、この状況は少し不味いのでは?」
「は?」
「1つのシャワー室を使ってこそいませんけど、マスターは今、中ですし。会話なら外ですれば…」
「……」
「……」
「それに、アリ・パシャ様。今日の作戦はほら、ゲベールだとかスナイダー、あとエンフィールドですか。今この場に来られては厄介にしかならなそうな連中とでしたし」
「………。そうだな。おいマスター、お前が外に出ても問題なくなれば壁を叩く。そうしたらさっさと衛生室に戻れ」
「えっ、あ、はい」
「…俺様もエセンも、お前の世話になるような怪我はない」
「――…はい、よかったです」
「すみません、マスター。急かすような形になってしまって」
「大丈夫、もう出ようと思ってたから」


傍に掛けてあったタオルを取り、手早く体を拭いていく。

そうしながら、アリ・パシャさんの言葉を反芻した。レジスタンスの人数が増えていく中、確かにこのシャワーの数は不便かもしれない。順番待ちになるし、男女別で作戦に出ているわけでもないのだ。時間を分けるにしても新たな問題が生じるだろうし。でも。


(――…会話の時間が持てるのは、嬉しいし)


状況、を喜んでいるわけではなくて。まったくではないにしろ、アリ・パシャさんと会話をする機会はそう多くはない。

声を掛ければ返事はもらえ、そこから雑談に発展することだってある。けれど、色々と取り決めてしまえば当然こういった偶然は減ってしまうわけで。


「……」
「マスター、俺様の話は聞いていたのか?お前が体調不良であるなら笑えん冗談だぞ」
「げ、元気です!少し考え事を…ごめんなさい」
「まったく…」


溜め息と、響く音。
失われてしまうのは、やっぱり寂しい気がしてしまう。


end.

20200909

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