微笑む

「なまえ殿は、愚か者ではないはずですよ」


私を見る、いや、睨むと言っても過言ではない覇気を湛えた張コウ殿に、一瞬たじろぐ。
何がなんでも飛び出そうとする私を張コウ殿は何がなんでも押し止める気でいるようで、容赦なく入れられた力に苦痛を訴えそうになってしまった。

私は、武人だ。誇り高い曹軍の武人。ただ涙を流すだけなど私自身が許さない。

堪えているのは気持ちだけで、実際の私は顔をぐちゃぐちゃにしているのだろう。
張コウ殿の顔は見えないし鼻を啜らなければ不味い状態だし、弓を射る音が微かにでも届けば、憎しみに近い苛立ちと息の詰まる苦しさに襲われる。


「――…張コウ殿は、何も感じないとおっしゃるのですか」
「そのようなことは言っていません。私が言ったのは、あなたは愚か者ではないはずだという一点のみですよ」
「そのお言葉がっ!」
「瞬間の激情に蝕まれることを是とするならば、なまえ殿は愚か者だということですね」


振りほどけないか、などという浅はかな思考は張コウ殿には読まれているらしい。
どんなに腕を動かしたところでびくともせず、私は私の無力さを痛感する。

愚か者。私は愚か者などではない。
ただ何もせずいることこそが愚ではないのか。張コウ殿は腰抜けではないだろう。敬愛する者の死に何も抱かぬ人間では、ないだろう。


「張コウ殿にお話することなどなにもない!腕を放してくださいっ!!」
「――なまえ殿が、深く将軍を慕っていたのは知っています。私だって同じですからね」
「同じだというのならば、」
「だからこそ私は、あなたを行かせるべきではないと思うのです。曹孟徳に命を捧げた人間に醜悪などあってはならない。正に今、敵と喚いて黄忠を討つことは、勇ではなく醜態とは思いませんか?」


あれ程強く握り締めていた力はどこへやら、そのまま私が駆け出すかもしれないというのに、張コウ殿は拘束を解く。
しかし不思議なことに、足は動こうとしないのだ。確かに熱は渦巻いていて、確かに涙は乾かぬというのに。


「我々の殿は踏み越えて進んでいく。あのお方が描く大地こそ、何よりの弔いとなるはずです。だからこそ我々は戦で示すのですよ、曹軍の強さを、美しさを」
「……曹軍の、将として」
「気高き魂を。将軍が示したのも、その輝きに他なりません」


落ち着いたと判断したのか張コウ殿は優しく、力強く微笑むと私の肩を叩いて去る。

彼だって、憤っていないわけがない。
それでも彼は見せるのだ。その強さを、その誇りを。


「――…魂を」


なんと彼は、美しい人か。

20131105

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