惑う

子上、と呼ぶ声に大袈裟なくらい肩が跳ねた。

呼び名はまるで異なるし、何よりも声。高さどころか性別が違う。だというのに緊張にも似た心地を味わったのは、そこに含まれている熱だろうか。
耳に届いた瞬間に己を支配したのは、あの細い指だとか、どうと表現することの出来ない美しさを孕んだ一人の女だ。

違うのはわかっている。何せ彼女は外に出ようとしない。司馬昭も好んで出そうとしないのため、こうして開けた場所で彼女を見ることはないのだろう。
見たのは恐らくずっと前、まだ彼女が己の生に疑問を抱いてなどいなかった頃で。全く欲がなかったわけでなくとも、あの頃はもっと穏やかでいられたように思う。

彼女には彼女の場所があり、自分には自分の場所がある。無理矢理などではなくもっと単純に素直に、そう思っていたはずだ。


「なまえ殿がお呼びだぞ」
「何かあったのか?」
「いいや。お前を捜して訪ねてみたんだが、どうにもご存知ないようでな。常々異様に気にかけてくれる相手がいないとなれば、なまえ殿もさぞ不安だろうと思ったまでだ」
「……おい」
「嫌味と取るのは、お前自身が後ろめたいと感じているからだろうな」
「……」
「お呼びと言われて不安に顔を染め、心を突かれて気を損ねる。愉快なことだ、精々どちらも失わぬように立ち回るといい」


それだけ言うと押し遣るように肩に触れられ、苛立ちに似た感情が顔を出す。

笑っているとは思うが、賈充が微笑みと称するには欠けた表情を浮かべるのは至極当たり前のことで、彼の意図までは読みきれない。
賈充は何故、司馬昭を優れていると感じるのだろう。なまえへのままならぬ情が体内を駆け回る度に、そう思う。


「どちらもって何だよ」
「――…驚きましたな。司馬昭殿は、そこまで知恵の及ばぬ人間ではありますまい」
「賈充、」
「あれは既に危うい。思考の出来ぬ人形に成り果てる前に、どうすべきかを考えろ」
「もう決まってる。俺はなまえ殿が生きたいって言うなら、その通りに」
「なまえ殿が。愛玩品を捨てることは堪えられんか?都合のいい言い訳もあったものだ」
「――…」


明らかな嘲笑に呼吸が止まる。
言い返す、という選択はあるはずもない。

賈充に対する息苦しさはなまえに覚えるそれとはまるで違う。なまえの一挙一動は司馬昭に強烈な印象を与え、情欲を呼び起こすような。その一瞬に胸を圧迫する想いは、賈充に引き出せるはずがないのだ。


「昭、だったか」
「っ、はっ?」
「鳥やら猫が鳴くように繰り返していたぞ。顔を見せて差し上げたらどうだ?さぞお喜びになることだろう。生きていたいという願いはそのままに、恋しい昭にまで会えるのだからな」


何より俺では、お話しなさる気もないらしい。

司馬昭の挙動を観察するように吐き出して、肩を竦める。
それを受けながら、鳥にも猫にもなまえのような愛らしさや美しさを備えたものはいないだろうと感じるあたりが屑なのだと、嫉妬とは異なる表情でいた王元姫を浮かべながら思う。


「喜びのあまり頬を寄せられるかもしれんな、昭」
「その呼び方やめろ」
「――…失礼を」


双方がどこにも辿り着けぬ道だというのに。

わかってはいるのに、どうしても。

20140107

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