悔やむ

惑う続編

そんな決まりごとがあるわけではないのだが、彼女の室に入る際には、一切の物音を立ててはいけないような気になる。

黙って、顔を出すのも億劫だろう窓にかじりつく姿。訪ねて最初に映るそれが、恐ろしく思えてならない。しかし訪ねに来た相手が司馬昭だと知ると、嬉しそうに顔を綻ばせ「昭」と声を弾ませるものだから、堪らなくもあって。

今、彼女を微笑ませることが出来るのは自分だけ。

そう思うと、強く満たされるのだ。空をきるばかりだった手は間違いなく、彼女を掴むことが出来るのだから。


「なまえ殿、何か不自由はありませんか?」
「平気よ。食事も衣服も、昭が用意してくれるじゃない」
「や、でも、なまえ殿にとっていいものかはわからないので。少しでも不便だと思ったら言ってください、なんとかします」
「ありがとう、昭」
「いいえ」


安心したように、なまえは目を細める。

豪奢な暮らしを恋しがるわけでもなく、甘んじるくらいならば死を選ぶということもなく。持っていたはずの曹家としての自尊心は、日々の生を感じることで薄れていった。

それでも、奥底では後ろめたさのようなものを抱えていたのだろう。感情は徐々に心を蝕んで、ついになまえは司馬昭に凭れることで安堵を覚えるようになってしまった。
だから今のなまえは司馬昭の名を呼ぶ。自分を気にかける司馬昭のことだけを考えていれば、楽だから。自分を責める声が、聞こえなくなるから。


「……なまえ殿」
「なあに?」
「兄上が何か、言ってましたか?」
「司馬師殿?来たかしら、司馬師殿なんて」
「――怖くは」
「怖い?どうして?」
「……いいえ」


生きたいと願う自分が愚かしく思える。けれど、生きていることに安堵する。もう曹の人間ではいられない、顔向けが出来ない。

そうして悔やんでいたのは何時だったろう。もうすっかり、曹と口にすることはなくなった。
ああ、焦りのような感情が沸き上がるのは、彼女が曹の人間である自分を思い出しているように見えたからだ。恋しがっているように見えたからだ。

思い出すもなにも、それこそ変わることのない事実なのだが。


「おかしな昭。こんなに昭がよくしてくれるのに、怖いなんて思うはずがないじゃない」


だから、この笑顔を目にすると安堵する。
曹なんてもの彼女はすっかり忘れてしまったのだと、司馬ではなく司馬昭だけが支えなのだと。そんな風に感じられて。


「――ありがとうございます」


嬉しくて、同時に。

曹として生きていたなまえの笑顔を見ることは二度とないという現実に、強い虚しさも抱くのだ。

20150209

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