※男主
その姿を目にしたことはあれ、言葉を交わしたことも、声を聞いたこともなかった。
実在していることは承知だが、私にとっての貂蝉様とは女官や兵士たちの話の登場人物、という感覚の抜けない方である。
悪魔であったり悲劇の乙女であったり、囁かれる像も様々で、いまひとつこれという形を得ることが出来ない。
それがきっと余計に、彼女に対する空想的な印象を強めていたのだろう。
(――…あれは、どちらでもない)
本当の貂蝉様がどのような表情を浮かべているのかは知らないが、私の目に映る表情に噂のような印象はない。憂いも企みも感じぬ、ただ楽しそうな色。
あの方と心安らかに話す相手など、私は知らない。誰しもが怯えながら、彼を刺激せぬようにと思考するのだ。
そんな様子を感じさせぬ笑顔は、やはり貂蝉様に対する印象をあやふやなままにしてしまう。
(……貂蝉様が悪魔とすれば、董卓様や呂布様は何になるのだろう)
思うが、私は董卓様や呂布様の人となりもよく知らない。耳に入る言葉としてしか、彼らのことも把握していない。
全てを鵜呑みにするならば、ここは悪魔の巣窟だ。貂蝉様に関しては、生け贄のようだと例えることも出来るのかもしれないが。
(…….ああして微笑むことの出来る方が悪魔などと、考えたくはないが)
それすら騙されているのだと言われるのかもしれない。堕落させる悪魔なのだと囁かれるのかもしれない。
けれども、あの微笑みこそが貂蝉様なのだとしたら。
(――貂蝉様の道が、あたたかな優しい光に照らされますよう)
貂蝉様が一番、穏やかでいられる場所に辿り着くことが出来たなら。
そうなれば私も、幸せな気がするのだ。
20150217