牙崎漣

自分以外の誰かがそこを必要としている、という思考は、基本的に牙崎漣の頭には存在していない。そもそも用途が間違っている、という考えすらないのだろう。漣にとって、自分が眠りに落ちればそこが寝床なのである。自分が自分ものもだと思えばその通りであるし、自分が白と言えば黒も白になる、のではなく、黒であっても白と言い張る。誰が渋い顔をしても。それこそが漣であるし、彼というアイドルを愛してやまないファンは、漣がそうであるから黄色い声をあげるのだろう。


「師匠、どうしたんスか?」


さっき、作らなきゃいけない企画書があるって。

不思議そうに目を丸くする道流は数十分前、事務所を出た。トレーニングルームを利用していたらしく、食事の調達を兼ねたランニングに出る前にプロデューサーの顔を見たかったのだという。そう口にして笑った彼は机の上で丸くなる漣を見つけると笑顔の種類を変え、「すみません、師匠」と頭を掻いた、というわけだ。

そんな彼が疑問をぶつけたのは、そのとき漣の様子を眺めていたプロデューサーが未だその場に留まっていたからに他ならない。


「煮詰まっちゃって。休憩、みたいな」
「休憩。…ソファーじゃなくても?」
「ちょっとね、漣を見てると落ち着くなあって」
「……おちつく」


しゃがんでいては休憩にはならないのではと道流は思うが、それでいいと彼女は言う。それから、気持ちよく眠る漣は確かに清々しいと思うが落ち着くとは。道流が首を傾げると、面白そうに彼女は微笑む。そんなに間の抜けた表情だったろうか。


「気持ち良さそうに寝るでしょ?漣って。だからね、こう、疲れたときに見ると癒されるんだ」
「…その主な原因が漣ってことは…」
「ないない。可愛いもんだよ」


言って、髪を撫でる掌。眠っているとはいえ漣がそれを享受するのも不思議な光景だ。道流自身はプロデューサーである彼女を尊敬している自覚はあるし、タケルも様々な物事において参考とし、支えにしている。漣だって口にはしないが、年数を経るうちに彼女への態度に優しさが見え隠れするようになった。

溜め息を吐く姿にどこか気にした様子を見せたり、疑問が生まれたら視線で訴えるようになったり。いまだに遠回しなあたりが漣であるが、まあ、なついたというような。適切ではないが、妙にその言葉がしっくりくる。

ならば、不思議ではないのだろうか。


「――あ、電話だ」


着信音に反応を示すと最後に一撫で。穏やかな目をした彼女はあっという間に仕事へとスイッチを切り替える。「お世話になっております」と頭を下げながら部屋を出る背中を見送り、視線を漣へ。

認識した表情に、道流は思わず声を漏らして笑ってしまった。


「………ンだよ。何笑ってやがんだ、らーめん屋」
「いや、漣もそんな顔するのかと思ってな。そうだ、漣も食べるか?腹減っただろ」
「ラーメン」
「それは嬉しいが、今日はこの後雑誌の撮影だろう?弁当で我慢してくれ」
「……チッ。ならさっさと寄越しやがれ」
「好きなの選んでいいぞ。ん?髪、ぐちゃぐちゃじゃないか。飯の前に直すか?ほら、」
「あ?……後でアイツにやらせる」
「………ははっ、そうかそうか!けどなぁ、あんまり師匠に負担をかけるのは感心しないぞ?」
「らーめん屋にはカンケーねえだろ」


与えられる愛情を心地のいいものであると。漣がそんな風に思っているのであれば、微笑ましい限りである。


20180328

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