シュガーゴースト

あ、と声を上げると北斗くんの瞳が鋭くなる。暗くなった学校は少し不気味で、そんな中に一人残していくのはとレッスンを終えて疲れているはずなのに北斗くんが一緒に残ってくれた。

今日の当番は俺だ、というのが北斗くんの言い分。そう言われてしまうと何も言えないし、正直に言ってしまえば明るいとはいえそれなりに広い図書室に一人は怖い。だから私にとって北斗くんの申し出はとてもありがたかったのだ。そして更に重ねるとこれから行うことも一人では怖いのだけれど、流石にそこまで面倒をかけるのは。北斗くんは絶対、面倒だなんて言わないのだろうけど。


「図書室にメモ帳置いてきちゃった」
「メモ帳?」
「入れたと思ったんだけど。ちょっと取ってくる、帰ってて――…玄関で、待ってて」
「……本当なら、玄関で待つというのも断りたいところなんだが。過保護すぎるのもどうなんだと、つい最近朔間先輩に言われてしまった。校内くらいは自由にさせてやれと」
「……」
「無言で訴えるな、なまえ。…場所は図書室で間違いないんだな?」
「うん」
「――わかった。ここで大人しくしているから、早く取ってくるといい」
「うん。ごめんね、ありがとう、北斗くん」


謝罪と感謝の両方を伝えると、北斗くんは少し困ったように笑って手を振り返してくれた。北斗くんを待たせるわけにはいかない。さっさと見つけて、さっさと戻る。メモ帳を置いてきただけならいくら場所が図書室とはいえそんなに時間はかからないはず。それに、探したいのは図書室までの道のり。覚えがあるのもその辺り、だ。

*

スマホの明かりを頼りに注意深く辺りを見回す。差し込む月明かりも手伝って、想像よりもずっと楽に確認作業が出来ていた。

それでもやっぱり、月とスマホだけというのは恐怖心を煽る。普段よりも感覚の狭い心音が、余計に自分自身を焦らせて仕方がない。


(この辺で音がしたと思ったんだけど…)


メモ帳を置いてきた、なんて嘘で。本当は、家の鍵を落としたのだ。

校内外のライブにその内容に関しての調べもの。想像以上に時間を使ってしまい、区切りがついたのは予定を大幅に越えてしまってからだった。慌てて片付けて、図書室を出てから家に連絡を入れて。スマホを取り出したそのときに、何だか金属音のようなものが響いた、気はして。


「…ない」


気のせいだなんて思わず確認すればよかった。結果こうして北斗くんを待たせることにもなっているし、たった一人の女子だからと大事にされすぎだろう。夜道が危ないのは誰だって同じ、それに私は、いざというときのため鬼龍先輩に護身術も教わっているんだから。


(先生が拾ってくれたのかな?…仕方ない、明日職員室に行って――…)
「そこにおるのはなまえの嬢ちゃんかのう?」
「――っ!?」


暗闇の中に響いた声に心臓がどくりと鳴る。足音は聞こえなかった。私が集中しすぎていただけ、かもしれないけど。

教室はどこも暗くて、それに図書室に続くこの廊下には一般教室はない。時間も時間、残っている生徒もそうそういないはず。響いた声は私を知っているらしい。迷いなく名前を呼んで、とても癖のある、口調で。お化けなら知ってるんだろうか。振り返るのが怖い。癖のある話し方はよくよく馴染んでいる気もするけれど、そう、よくよく。あれ、この声と話し方って。


「こんばんはじゃな、嬢ちゃん」
「……あ、朔間、先輩」
「そうじゃよ〜、朔間先輩じゃ。こんな遅くに真っ暗な廊下に座り込んで、どうかしたのかのう?気分でも優れんか?」
「いえ、絶好調です。元気です…」
「絶好調で元気か、それはよい」


頼りになるのは月明かり。ぼんやりと浮かぶ朔間先輩の肌は蒼白く、不意に過った吸血鬼という単語に肩が揺れる。正体不明のお化けではないけれど、普段は優しい朔間先輩も不思議で掴み所がないではないか。そんな私の心情を知ってか知らずか、優雅としか言い様のない微笑みを湛えた朔間先輩はとても楽しそうに見える。


「鍵を、落としてしまって。探していたんです」
「鍵?」
「はい。家の鍵、なんですけど…」
「ほう。もしかして、これのことか?」
「あっ!」


思わず大きな声を上げてしまい口を押さえる。小さな子供を見守るような表情は、照れ臭い。


「ありがとうございます、先輩」
「気にするでない。ずっと一人で探すのも危ないからのう?しまいには家に帰れんようになるかもしれん」
「えっ?」


朔間先輩から鍵を受け取る。その際の言葉は「こんな時間まで残っているものじゃない」という注意だろうに、足元から冷たいなにかが競り上がってくるような、恐怖に近い何かを、感じた。吸血鬼。また、その単語が過っていく。


「がぶりと何かに食われたり、何かに連れていかれるのは嫌じゃろう?ああ、安心せいよ?わんこはちょっと素直でないだけの、心の優しいわんこじゃから。嬢ちゃんを食ったりはせん」
「大神くん?…えっと、はい。何かって、抽象的ですね」
「ふふっ、そうじゃのう。ほれ、夜闇というのは多くのモノを活性化させる。我輩や凛月もその内じゃ、こうして何の怠さもなく自由に動き回れる」
「…そう言えば、朔間先輩は見回りですか?」
「うん?我輩か?」


首を傾げる姿は普段ならば失礼ながら可愛らしくも見えるのに、今は違う。妖艶、というわけでもなく、つい先程から感じはじめた恐怖に近いそれが、じわりじわりと体を侵食しているのがわかる。


「…そうじゃのう。酷く心を揺さぶられ、脳を刺激する香りに起こされてな。惹かれるままにふらふらと歩いていたんじゃが――…嬢ちゃんの探し物を拾えたなら、都合がよい」


何でもないはずの言葉に、何故か鍵を強く握りしめてしまう。朔間先輩の表情は、いつも通りの優しい笑顔。自称吸血鬼の先輩はその通り太陽が苦手で日が沈むと活動的になって、血は錆の味にうえっとなるから苦手、らしくて。それから、トマトジュースを渡すと嬉しそう。UNDEADというユニットカラーがそうだから、何なら大神くんも自称狼だから、朔間先輩の吸血鬼発言について深く考えたことなんてなかった。真偽がどうこう、を気にしたこともないかもしれない。

それなのに今日は、今夜は。頼りない明かりが不安を煽っているんだろうか。それとも朔間先輩の発言が。でもそれは今にはじまったことじゃなくて、それなのにどうして、私は。


「…おやまぁ、どうにも怖がらせてしまったようじゃ。安心せい。我輩、嬢ちゃんをどうこうする気はないよ?」
「あ、いえ、そんな別に」
「食ったり連れていったりはせんから。万が一にでもしてみい、坊やたちに恨まれてしまう」
「万が一…」
「そうやって挙げ足を取るようにされては寂しいのう。嬢ちゃんは我輩に対して優しい子じゃと思っとったのに…」
「い、いいえ!そんなつもりは!」
「ふふふふふ、冗談じゃ。…そろそろ、坊やが心配で堪らんくなるじゃろうて、行っておあげ」


あやすように頭を撫でられ、やんわりと背を押される。思いの外響いた焦って出してしまった声か朔間先輩の行動か、この困惑と恥ずかしさはどちらに対して抱いているのだろう。


「……さようなら、朔間先輩」
「ああ、さようなら」
「鍵、ありがとうございました。…また明日」
「また明日」


ほのかに熱をもった頬。朔間先輩の言葉一つ一つが気になって、表情や動きに戸惑ってしまう。月明かりが朔間先輩の印象を変えたから、スマホの光では頼りなかったから。

北斗くんは心配しているに違いない。「何かあったのか?」と、そんな風に聞かれるかも。そうなったらちゃんと話そう、本当は家の鍵を探しに行ったんだと。けれど、それでも。


「……」
「なぁに、消えたりはせんよ。ほれ、言ったじゃろ?また明日と」
「…はい」
「別れがたく思ってくれるのは嬉しいが。このままだと我輩、坊やに怒られてしまうやも。それは嫌じゃ、下手をしたら、嬢ちゃんに会わせてもらえんようになるかもしれぬし」
「あはは、まさか…」
「…じゃからお帰り。夜闇に潜む、悪い魔物に捕まらんうちに」
「はい。…今度こそ本当に、さようなら」
「ああ」


優しくも妖しくも感じる、細められた赤い、朔間先輩の瞳。

今夜のこの出会いだけは、私だけの。朔間先輩と私だけが知っている、小さな秘密にしていたい。



end.

20160202
Ash.提出

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