きみのナイフはとてつもなくあまい

日増しに暴力的になる太陽に体力を奪われる。焼けるような暑さだ、まさに。グラウンドや体育館から響く掛け声にも徐々に力強さが加わっているような気がするのは、大会が近づいてきているからだろうか。

年間で最も重要視されるスポーツの大会というと、どうにも夏が浮かぶ。三年生には最後の大会。そんな話をクラスでも耳にするからだろうか。三年間の集大成、最後のチャンス。後輩にとっても、最高学年の先輩と力を会わせる最後の機会だ。

それは、強豪である我が箱根学園の自転車競技部も変わらない。


「ム?」


ヘルメットに手をかけている彼にも見やすいようにペットボトルを掲げると、何とも短い一言。確かに一般男子生徒と比較すると目鼻立ちは整っているだろうその人は、一度手を止めて私を見る。


「あげる」
「すまんね。しかし、声をかければいいだろう」
「うん、ごめん」
「別に責めとらんが」


ボトルも空になっていたんだ。笑うと彼はフタを捻り、ボトルへと注いでいく。てっきりそのまま飲むと思ってたのと、ゆすぎもしないのかって驚きに「え」と声を上げると今度は注ぎながら、私を見た。


「同じものだからな」
「東堂ってそういうイメージじゃなかった」
「水道遠いだろ」
「そうだけど…あ、もらうね」
「いや、自分で」
「いいよ。私が東堂にあげたんだし」
「もらったならオレのものに――…まあいいか、ありがとう」


軽くなったペットボトル。微かに触れた指先に胸がきゅっと苦しさを訴える。ありがとう、その東堂の言葉も、追撃のように私を苦しめた。


「暑いね」
「そうだな。…そういやおまえ、人のことばかり気にしているが自分は平気なのか?」
「うん、大丈夫」
「そうか。ならいい」


東堂の言葉に、今度は心臓が跳ねる。どうして東堂は自分のことのように笑うのだろう。同じ歳のはずなのに、東堂の微笑みにはまるで幼い子を見るような柔らかさがある。普段から年下と接する機会に溢れているから。でも、年下と言ってもそんなに年齢は変わらない。ならこれは、東堂が最初から持っている部分なんだろうか。それともやたらと、私には眩しく見えてしまうのか。


「それにしても珍しいな」
「何が?」
「見に来んだろう、部活」
「…邪魔しちゃ悪いし」
「ん?」
「…だから、邪魔しちゃ、悪いし。近いじゃん、インターハイ」
「今来てるのに?」
「それは、…ほら」
「悪かったって。恨み言だよ、ちょっとした」


気がつけば、東堂は快活な笑顔を浮かべていた。悟られないように唇を噛んで、視線を合わせる。

言葉も、動きも、表情も。
それが東堂から発せられたものであるというだけで、簡単に私の心に突き刺さってしまう。苦しくなるのも、痛みからではなくて。不思議と心地よくもあるそれを、東堂だけはいつでも私に与えることが出来るんだ。本人が望んでいても、いなくても。

会話がなくなって数分も経ってはいないと思う。不意に真剣味を帯びた鋭い視線につい短く息を吐き出して、地面をしっかり踏みしめて。そんな私の小さな努力を知ってか知らずか、東堂の手が躊躇うことなく伸びてきた。頬に、触れようとしている。

小さな努力は結局小さな努力でしかなく、唐突な東堂の動きに私の足は容易く地面から離れてしまった。ふらつく体、転びはしないけど、東堂の指は私に触れることなく、停止した。


「――っ、な、なに?」
「ああ、すまん」
「はっ?」
「今は部活動の真っ最中だったな。しかも、インターハイに向けての追い込みの」
「え?」
「こんなところを見られては、レギュラーとして副主将として、最高学年としても示しがつかん」
「……なに、それ?」
「ワッハッハッハ!なまえ、ドリンクありがとう」
「名前っ、」
「帰る前にその惚けた顔を何とかしておけよ!」


片手を上げて、何でもないように東堂は歩いていく。こっちを見もしないけど、笑っているに違いない。楽しそうに、嬉しそうに。


「ずるい、名前…」


普段は苗字で呼ぶくせに。ああ、全力疾走したあとみたいに心臓が煩い。いやもしかしたら、それよりも煩いかも。

へこんでしまった空のペットボトルに悔しさを覚え、くしゃりと頭を掻く。何だっけあの子。そうだ、真波くん。ロードで坂を登っていくそれが、彼にとっては一番生きている感覚がするんだと東堂が言っていた。
あれは確か、三時間目の休み時間に校門を通る姿を見たときに。目を細めて話してくれた東堂の横顔に、私は止めようもなく鼓動が高鳴るのを感じたんだ。


「――…最高に生きてるって感じ、かぁ」


騒がしくなるばかりで大人しくならない心臓。私にとっては東堂尽八こそが、それなんだろう。



end.

20150925
shiki提出

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