春隣

「っ、ああ、すまない」
「こ、ちらこそ」


死角であった。が、一端の武人たるもの、平時とはいえ容易く気を抜いていいものなのか。それに、互いに驚いたようだといっても男にこれといった変化は見られない。片やなまえは跳ねた心臓に肩、まだ少しばかり速い心音と情けなさを痛感するばかりだ。まあ見えぬ男の内情には、言及など出来ないが。


「お怪我は?私の不注意故に、申し訳ない」
「そちらこそ大事は――……貴女は」
「え?」
「先の戦では見事な活躍を。戦場とは雰囲気が異なるため、気が付きませんでした」
「貴殿は、……真田幸村殿?」
「はい。幸村に御座います」


雰囲気が異なる。幸村はそう言うが、なまえにしてみれば頭を垂れる幸村こそ、同じ人物とは思えない。戦場での肌を突き刺すような気配、敵を見据える瞳。味方であるはずの自分も斬り殺されるのでは、と感じるほどの圧倒的な気迫。

それが、どうだろう。


「貴殿もまるで違う。鎧を纏っていないから、というだけではなく……戦場を駆ける人間に見えない、というのか。まるでただの青年――…あ、いや、侮辱ではなく、」
「貴女も。ああ、髪を結われていたのですね。兜に隠れていたものですから、随分と小柄な男児がと…」
「それはありがたい。そう思っていただける方が、動きやすいので」


目の前にいるのは、穏やかな青年だ。戦ではない場で生きることこそ似合いそうな青年。しかし戦場での姿を一度でも目にすれば、彼が生きるべきは戦場以外にあり得ないと思えてしまう。

矛盾とも言える思考だが、焼き付いてしまうのだ。同じ戦場に立ってしまったが最後、まるで慕情のように強く、槍を手に駆け抜ける姿が離れなくなる。


「そうなのですか?」
「女だとわかるや否や、見下す者も気を遣う者も現れます故。男として、ある程度は粗雑にされるくらいが気楽でいいのです。――……あくまで、私の考えですが」
「成る程。戦場での働きをみれば、そのような理由で貴女を軽んじる者など――……そうだ、お名前を伺っても?」


なんと真摯なことか。幸村の言葉に、なまえの中に生まれた真田幸村の輪郭がぼやけていく。圧倒的な気迫、それからは手柄は己のみのものだと言いたげにも感じたが、どうにもそうではないらしい。幸村はなまえの働きに目を向ける心も持っている。そして幸村はなまえを軽んじてなど、いない。


「……なまえと申します」
「なまえ殿。また見える機会があればよいのですが」
「私も是非に。……幸村殿は、何故私だとおわかりに?男児と思っていたなら尚の事」
「ああ、えっと…」


今度ははにかんだ。気恥ずかしげな表情に、なまえはつい、引き込まれる。いくつもの顔を持つこの男は、本当に一人の人物なのだろうか。どれが本物の、いいや、どれも本物であり、真田幸村とはなまえの目の前にいるその人ただ一人で間違いない。こんなにも多面的で、そのどれもに心惹かれてしまうとは。何とも恐ろしい男ではないか。


「ぶつかりそうになった一瞬、戦場での姿が重なり……つい、確証もなく引き留めようとしてしまったのです。お恥ずかしい」
「――…成る程」


成る程。
こうして心音が速まるとはまだまだ己も単純で、やはり幸村は、恐ろしい。


end.

20131031
20200806修正

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