「ねぇ」 「なんです」 日曜の昼下がり、休日出勤よろしく事務所でお互い雑務をこなしていれば、不意に声を掛けられる。 一段落した資料を片手に高級な白い革張りのソファに腰を下ろし、煎れたての熱いブラックコーヒーをソーサーから持ち上げ一口含んでから応えれば、少し語気を強めて再び呼び掛けられる。 「ねぇってば」 「だからどうしたんですか」 不服そうな彼女の声に、今度は視線を合わせてから応える。 「四木さん、怒ってるでしょ」 「そんな事ありませんよ」 「嘘」 「嘘じゃありません」 ムスッとした顔は普段の仕事時のソレとは違い、上司も部下も勿論同僚もいない二人きりの時だけに見せる顔。年相応の堅気の女の顔だ。 「どうして私が怒ってると思うんです」 カチャリとカップをソーサーに戻し、表情も声のトーンも変えず見詰め返す。 「だって四木さん敬語。それに一人称も」 普段なら有り得ない、そんな本当に些細な失態を犯してしまうのは、きっと彼女が相手だからだ。 しかし言葉自体に刺がある訳でも、所作が荒々しかった訳でも無く、むしろ、その口調と一人称は普段からも良く使う訳で。それなのに気付いてしまう、気付かれてしまう。 「ねぇ、」 再度噤む事を知らぬ口が発す声に、隠し立てする必要性を欠く。 「――――チッ」 怒気を含む舌打ち。眉間に寄せられた皺と細められた瞳は良い具合に機嫌が悪い証拠。一般人は勿論、裏の仕事を稼業にしている人ですら、彼のこの表情は冷や汗ものだ。それでも彼女が平然として居られるのは別に彼の部下だからだとか、ましてや惚れられた奢りなんかでは全く無く、単に付き合いが長いのと他人より彼の性格、行動、その他諸々を少しだけ良く理解している、ただそれだけの事。 「あ、」 「あぁ?」 「もしかして三日前に赤林さんと楽しくランチしたのが原因とか」 思い当たる節を見付けたのかその旨を伝えてみるも、相も変わらず表情一つ変えずに無言。それでも沈黙は是と受け取る。あの四木さんが嫉妬とは可愛らしい。 「四木さんもまだまだ青いね」 「犯すぞ手前ェ」 「どうぞ?四木さんになら」 ケロリとそんな事を言って退ける彼女に軽く溜め息を吐くが、しかし存外口調とは裏腹にその目は真剣そのもの。全くこの女は怖いもの知らずと言うか何と言うか。 「ったくお前には何時迄経っても勝てる気がしねえよ」 「四木さんにそう言って頂けるなんて光栄ね」 嬉しそうに――無論、女としてではなく極道として――クスリと笑うこの女に、冗談では無く本気で勝てそうも無いと思った。 無条件降伏 あの頃からお互い随分歳を重ねたけれど、やっぱり私には青臭い彼の方がしっくりくる。 (埋め合わせは手料理で良いかしら?) (勿論、喜んで) ---------- 2011,03,31 |