「千秋。今日からこいつの事を頼む」 そう福富寿一に言われたのが彼との、荒北靖友との出会いだった。 「荒北、彼女は自転車部のメカニック兼、マネージャーの沖野だ。俺たちと同じ一年だが、沖野とは中学の頃から自転車部で一緒で知識や技術力は折り紙付きだ。今日から練習メニューや機材などの分からない事があれば何でも聞け」 「どーも、沖野千秋です。よろしく」 グリスで汚れた軍手を外し、右手を差し出せば渋々といった感じで荒北は握手を交わす。一方千秋は、こんな季節外れに新入部員とは珍しいな、などとぼんやり頭の片隅で思いながら寿一に「リョウカーイ」と安請け合いしたのが間違いだったと気付くのは、数日もかからなかった。 「ッダァクソッ!メニューキツすぎんだよ!鬼かてめェは!!」 柄は悪いし口はもっと悪い。事あるごとに文句は言うし、半ば八つ当たりの様にキレられる事もしばしば。 「はいはい。口じゃなくて足動かしてね〜」 そのくせ部活後も夜遅くまで毎日、毎日練習をしていて、一日だって休まない。 「人の三倍練習しろって寿一から言われたでしょ」 「わぁってるよンな事ァ!」 あいつが一日も休まないと言うことは必然的に私も一日も休めない訳で。気付けば私は荒北専用のマネージャーの様になっており、更に気が付けばいつの頃からか付き合うようになっていた。 周りから見れば必然的。極、自然な流れ、だそうだが、私としては意外。どうしてこうなった、と言う思いだ。 雲の向こうはいつも青空 前だけを見てこの日この時、この瞬間の為に全力で走ってきた。そして一度切って落とされた戦いの火蓋は時として無情。 積み重ねてきた努力やどんなに強い思いも一瞥もせず、裏切っていく。それが並み居る強者な中の頂点を決める戦いなのだから当然の事なのだが、それでも憂わずにはいられないのが人情だ。 だから敢えて私は聞くのだ。それが前に進む事に繋がるから。 「どう?負けて悔しい?」 「ア?ったりめェだろ!?」 わざわざ分かりきった事聞くんじゃねェよと額を小突かれる。 「じゃあ後悔、してる?」 「ハッ!バァカチャンが!してるわけねェだろガ!」 「うん、なら良かった」 「オレはもう後ろは振り返らないんだヨ」と言ったその日から、ひたすら前だけを見、前にだけ進んできた荒北にそんな問いは愚問だろう。 「今日、この大会は確かに一度きりだけど試合は、大会は、まだまだこの先もあるもんね」 「そうだな」 「続けるでしょ自転車。大学行ってもずっと、ずっと走りつづけるんでしょ?」 「ったりめェだヨ」 閉会式直後の少し沈んだ顔はもうそこにはなかった。 「こちとら前しか見てねェんだ。こいでこいでこぎまくって先頭ぶっちぎるしか能がねェんだヨ、オレには」 俯くことはあるかもしれない。立ち止まってしまうこともあるだろう。けど、最後には前を見る。前だけを見据える。そんな強い意志を瞳に宿した彼に少し、意地悪な質問をしてみたくなる。 「じゃあさ。また、今度は自転車にも乗れなくなったら?その時はどうする?」 「ンなもん、また何か考えれば良いだろ。道は一つじゃねェんだしィ?」 「ははっ、成長したね靖友」 「ッセ」 案の定、鼻で笑いながらくだらない事を聞くな。分かってるだろと言わんばかりに悪態を吐く。 「それなら私も、大学でもその先もずっと靖友の自転車と体のメンテ、してあげるね」 「はっナァニそれ。プロポーズ?」 「プロポーズは靖友からしてよ。私は関白宣言するから」 「ンよだそれ」 「あれ?知らない?さだまさしの…」 「知ってるヨ!ったく本当におめェはなんつーか……」 呆れたような、観念したようなため息を吐きガシガシと乱暴に髪を掻きながらほんの少し、目線を反らし気味に呟く。 「大学卒業したらな」 「え?」 「大学卒業したらしてやるよ。プロポーズ」 意外な応えだった。もっと照れて悪態を吐くかはぐらかすかして来ると思っていたから一瞬、動きが止まる。 「だから、」 ただでさえ近い距離がグイと引き寄せられ更に縮まり。 「今はこれで我慢しとけ」 噛み付く様に。食らい付く様に唇を奪われ、後頭部に添えられた手がガブガブと食い尽くすかの様に入れられた舌先から逃れられない様、押さえ付ける。ひとしきり口内を味わい満足したのか、けれど名残惜しげそっと離された唇は想像以上に赤く、煽情的で―――― 「リョーカイ…」 してやられたと言う悔しさと、人目は無いにしろ道の往来で普段頼んだって手さえあまり繋いでくれない荒北が、こんな大胆な事をしてきた事へ驚きながら、照れ臭そうにあの日と同じ言葉を言うのだった。 (さて、インハイも終わった事だし受験勉強のアシストに切り替えますか) (うげ…折角良い雰囲気だってのに空気読んで話題選べよ) ---------- 2014,11,22 |