前
「辰巳、今日からお世話になる古市貴之先生よ。」
「よろしくね、辰巳君。」
「…ども。」
あぁ、どうして俺はこんなとこにいるのだろう…。
「ねぇ貴之、バイトしてみない?」
大学生になって一人暮らしを始めたものの、距離的には実家からも近いのでちょくちょく実家に帰ってきては、夕飯を食べたりしている。将来のことを考えて、親が一人暮らしをさせてくれたのだが、あまり意味がなくなっている。
今日もまた、夕飯を食べにきて食休みをしていた時に、母さんに言われた。
「バイト?どんな?」
「家庭教師なんだけど。ほら、近所に男鹿さんっているでしょう?あそこの息子さんが、少し成績が思わしくなくてね、それであなたに家庭教師を頼みたいんですって。」
「なんで俺?」
疑問に思ったことを聞いてみた。その男鹿さんとは、一度も関わりを持ったことがない。
「この近所で一番いい大学に行ってるのが、あなただからでしょ!」
お母さん、鼻が高いわ!なんて親バカな発言をしている。
「えー…俺に頼むより普通に家庭教師頼んだ方が、確実じゃん。」
「今までも頼んでみたらしいの。だけど、辰巳君…あ、その息子さんの名前ね、辰巳君の目付きが悪すぎて、頼んだ家庭教師がみんな逃げちゃったらしいの。」
どんだけ目付きが悪いんだ、辰巳君は…。
「もう誰でもいいから、勉強を見てほしいんですって。それで私が、息子が大学通ってるからやらないか聞いてみるわって言ったの。」
えぇ…。と俺が嫌そうな顔をしたら、母さんが俺の手を取り、両手で握りしめてきた。
「お願い貴之!これで断ったりしたら、母さんご近所さんからいじめられちゃうわ!」
「そう言われても…。」
大学の友達から、家庭教師ほどめんどくさいバイトはないと言われていた。その友達は家庭教師のバイトをしているが、毎日のように愚痴を言っていた。家庭教師だけはやらないようにしようと、思えるくらいに。
「お願い!」
しかしここまで頼まれて断るのも何だか申し訳ないし、それに母さんの言う通り、ご近所さんから何か言われてしまうかもしれないと思うと、迂闊に断れないだろう。俺は一人暮らしをしているからいいが、中学生の妹や両親に肩身の狭い思いをさせるのは、心苦しい。
「…分かったよ。いつから?」
「本当?!ありがとう貴之!あなたならやってくれると思ったわ!じゃあ明日からよろしくね!」
「明日ぁ?!」
「早ければ早い方がいいって言われたのよ〜。それじゃあ男鹿さんに電話してくるわね!」
そう言って母さんは、元気よくリビングを出て行った。
「あぁ…。」
やるとは言ったものの、如何せん腑に落ちない。今さらだが、断ろうか。そんなことを考えていた俺に、母さんと話している間テレビを見ていた妹が話し掛けてきた。
「男鹿先輩、有名だよ。」
「何が?」
「高校生十人相手にして一人で勝ったとか、趣味は土下座させることとか。あと、硬中のアバレオーガってあだ名付いてるよ。」
妹の言葉を聞いて、やっぱり辞めておくべきだったと思った。