袖振り合うも多生の縁
喧嘩の理由なんてものは本当に小さくてくだらない事だ。
少し肩がぶつかったとか目が合ったとか、思春期の男には立派な喧嘩のキッカケになる。
「もう終わりか?」
鼻血を出してグッタリしている男の胸ぐらを掴みながら鋭い目つきで睨みつけているこの男は、茨城で有名な暴走族の総長――火野正太郎。
普段は温厚な性格なのだが、一度火が付くと我を忘れて喧嘩に突っ走ってしまう少し困った男だ。
しかしそんな彼に憧れを抱き付いていく男は後を絶たない。
ヤンキーを名乗る若者にとって火野正太郎はカリスマ的存在なのだ。
「わ……悪かっ……た……」
胸ぐらを掴まれている男は力ない声を出し、プルプルと手を震わせながら火野の腕を掴む。
それを振り払うように手を離すと、男は地面に倒れこんだ。
「クソ弱えくせに喧嘩吹っかけてくんじゃねえよ。情けねえ奴だぜ」
口の中に溜まった血をぺっと足元に吐き出し、乱れたリーゼントを手のひらで伸ばして後ろへ流す。
火野が単車の方へ歩いていくと、周りで同じように殴り合っていた族のメンバー達も単車へ戻っていく。
「気持ちよく走ってたのに台無しですね。総長ケガ大丈夫っすか?」
次期総長と言われている、火野に続いて喧嘩の腕っぷしが強いメンバーが声をかけると、火野は「こんくらいケガに入らねえよ」と笑って単車のエンジンをかけた。
火野に続いて次々と激しいエンジン音が辺りに響き渡り、ケガを負っていた男達の顔に活気が戻り始める。
「仕切り直してぶっ飛ばすぞ!」
このひと声で単車は一斉に走り出した。
生暖かい気温の中降る雨は、赤く艶めく単車のボディを濡らす。
「雨の匂いって嫌いじゃねえんだけどな」
タイミング悪ぃ、と呟き、たまたま休みなのかもうやっていないのか分からないシャッターの閉まった店の前で火野は単車から降りた。
屋根の幅は一メートルもないため、濡れないようにシャッターに背をピタリとつけて寄りかかる。
ふう、とため息をつきながら、髪の先からポタポタ垂れてくる水滴とその先にある雨雲を交互に見ていると、右後方から動物の小さな鳴き声が聞こえてきた。
「……猫?」
店と店の間の細い路地を覗くと、雨でべっちゃりと濡れた段ボールの中に子猫が一匹入っていた。
みゃー……みゃー……
掠れて今にも消えてしまいそうな鳴き声。
首輪はしておらず、段ボールの中には汚れたブランケットが入っているだけだ。
まだ子どもだからか子猫は火野に対して警戒心が薄く、伸びてきた手にためらいもなく身を預けた。
両手で抱き上げて、火野は子猫を見て微笑む。
「お前も親いねえの?」
子猫も火野と同じように体からポタポタと水滴を垂らし、小さくみゃー、と鳴いた。
まるで"同じ"だと言っているかのように。
*
「捨ててきな」
腕を組みながら仁王立ちする火野の姉――恭子は、子猫を抱いて玄関に立つ火野を一歩も家の中に入れようとしない。
「姉貴頼むよ。雨ん中震えててスゲーかわいそうでさ、あのまま置いてたら死……」
「甘い事言ってんじゃないよ! 動物を飼うってどういう事だか全然分かってないでしょアンタ。金がかかるのはもちろん、その子が死ぬまでずっと面倒見なきゃなんないんだよ」
「分かってるって。俺バイトしてるし何とかな……」
「分かってない」
再び被せて強く言う恭子に、火野はぐっと口を閉じてしまう。
恭子は大きなため息をついて腰に手を当てた。
「自分に重ねて同情すんのは勝手だけど、勢いで動物を飼うなんて甘っちょろい考えはよしな。最期まで見届ける強い覚悟がないなら返ってその子がかわいそうだよ」
「……でもよ……」
ギロリと鋭い目つきで睨みつけられた火野は怯んだが、腕の中で小さく震える子猫をぎゅっと抱きしめた後ゆっくり床へ下ろし、手と膝をついて頭を下げた。
「姉貴には絶対に迷惑かけねえって約束する! 明日病院連れてくし、姉貴の部屋には行かないようちゃんと俺の部屋で世話すっから……コイツ放っておくなんて俺にはできねえ!」
土下座をした火野の視界には玄関の床がいっぱいに広がり、自身から流れ落ちてくる水滴で次第に床はビシャビシャになって行った。
呆れたのか悩んでいるのか恭子は沈黙を続けていて、そんな無言の時間がやけに長く感じる火野。
そんな時、床に置いた子猫が恭子の足元へ向かってペタペタと歩み寄った。
「こっち来んな!」
恭子はとっさに一歩後ろへ下がるも、子猫はめげる事なく更に歩み寄る。
みゃー、みゃー、
か弱く愛らしい声で、助けを求めるかのように。
「っ……勝手にしな!!」
恭子はそう吐き捨てると火野達に背を向け、足早に自分の部屋へ入っていってしまった。
バタン!と扉の閉まる激しい音が響いた後、家の中は静寂に包まれる。
「あんな言い方しなくてもいいのにな?」
火野は寂しそうな背中を見せる子猫の頭を撫で、雨でぐちゃぐちゃになった髪をかき上げた。
*
色々な食べ物の匂いが行き交う昼休みの教室。
「あ、来た来た」
金髪に眼鏡をかけた男は、教室に入ってきた火野を見て菓子パンを頬張るのを止めると、眠たそうに席に着いた火野の元へ歩み寄る。
「今日は一段と遅いじゃん。どした?」
「おー……タツヤか。いや、ここ来る前ちょっと病院行っててさ」
「病院? お前また喧嘩で骨でも折ったの?」
タツヤが冗談交じりで言うと、火野は「俺じゃねえよ」と言って背もたれに寄りかかる。
「昨日猫拾ってさ、まだ小せえし結構弱ってたから朝イチで動物病院に連れてってたんだよ」
「へー、人助け大好きなお前らしい。この前も他校のヤンキーに絡まれてた後輩助けてたもんな」
人助け大好きって……と変な恥ずかしさを感じた火野は、口をへの字にして微妙な顔つきをした。
「その話はいーんだよ。それより動物病院って高えのな。数千円で済むかと思ったら色々検査したり注射打ったりして軽く一万超えしちまってさ、金足りねえからわざわざ下ろしに行ったわ。おまけに昨日は弱ってたから死んじまわないか心配でまともに寝れなかったし……」
ぐったりしている火野を横目に、タツヤは呑気にもしゃもしゃと菓子パンを頬張っている。
「大変だったんだ。で、飼うの?」
「……そのつもり。今アイツには俺しかいねえし。ただ一つ問題点がある」
「もしかして姉ちゃん?」
ズバリ言い当てられた火野は眉根を寄せて、はぁーっとため息をつきながら机に伏せた。
「そーなんだよ……姉貴がなぁ……あの調子じゃぜってえ許してくんないわ」
「正太郎が姉ちゃんにブチ切れられてるところ、安易に想像付くよ」
「まさにお前の想像通りだよ」
その日の夜はすぐに帰宅して子猫と過ごしたが、翌日はバイトがある為一度帰宅してエサをやり、子猫が部屋から逃げ出さないよう窓や扉が閉まっているのをしっかり確認してからバイトへ向かった。
誤って恭子の部屋に行ってしまったら、キレて勝手に捨てかねない。
それだけはどうにか避けなくては。
ハラハラしながらバイトから帰宅すると、子猫は火野のベッドの上で気持ちよさそうに眠っていた。
しかしその翌日、バイトから帰ってきた火野の顔が青ざめた。
「いない……」
大抵ベッドの上にある四角いクッションの上で眠っているか、テーブルの下で体を丸めて眠っているのに、子猫は部屋のどこを探しても見当たらない。
虫じゃあるまいし、本棚の裏の細い隙間に入る訳はない。
物が少ない火野の部屋はあっという間に隠れそうな場所を見終えてしまい、恐る恐る廊下へ顔を出してキョロキョロすると、視線の先に子猫のシッポを捉えた。
「待っ――」
しかしそれは不運にも恭子の部屋へと姿を消していく。
ヤバイ!!!!
火野は大慌てで恭子の部屋の扉の前へ行くと、猫が入っていった隙間に目を合わせる。
静かだからどこか出かけているのかと思いきや、最悪な事に恭子はベッドで雑誌を片手にうたた寝しているではないか。
「おい! こっち来い!」
恭子が起きないように小さな声で精一杯気持ちを込めて呼ぶも、猫はチラリとこちらを見ただけで足を止めない。
ベッドの横に置いてあるクッションやカバンなどを足場にして器用に駆け上がると、猫は恭子のお腹にちょこんと乗って、恭子の手をペロペロ舐め始めた。
「バッ、あーー……」
火野はもう言葉が出ず、廊下にへなへなと座り込んだ。
今にも恭子の叫び声が聞こえて、鬼の剣幕で自分の部屋に殴り込んでくるに違いない。
頭を抱えながらその場で覚悟を決めたが、いつまで経っても静かなままで、また違う怖さを覚えた火野はゆっくりと扉の向こうへ視線を戻す。
「……ふふ、くすぐったいよ」
「え?!」
火野は気配を押し殺していたのを忘れ、大きな声をあげながらその場を立ち上がる。
突然扉の向こうから大声が聞こえた恭子は目を丸くして飛び上がり、優しい表情があっという間に怒りの形相へと変わっていった。
「正太郎テメェなに人の部屋覗いてんだよ!」
「わっ! ちょっ、やめろって!」
恭子の持っていた雑誌が容赦なく火野に向かって飛んできて、火野は思わず扉を閉めて身を隠す。
「つーか何で姉貴がそいつと仲良くしてんだよ!」
ドアノブを掴みながらしゃがんでいる火野が部屋に向かって叫ぶと、恭子は冷静を取り戻したのか続いて投げようとしていたクッションをベッドへ戻した。
何も飛んでこない事を確認してビクビクしながら部屋の扉を開けると、恭子は再び優しい顔付きで猫の頭を撫でている。
「……こんな可愛いのにさ、見捨てられる訳ないじゃん」
ぽつり呟く。
猫は気持ちよさそうに目を閉じ、恭子の膝の上でごろんと腹を見せた。
恭子は部屋に一歩入った火野の方へ顔を向ける。
「アンタがこの子を家に連れて帰ってきた日から自分でも分かってたんだよ。もう離れらんないなって」
「え? だって姉貴、あんな反対してたのに……」
「そりゃあ反対するよ。この家はまだ学生の私と正太郎しかいないし、胸張って幸せにしてやれるような余裕ないでしょ。だから情が湧く前にさっさと元の場所に戻してきてほしかったのにアンタ土下座までしてさ……」
壁に寄りかかりながらあぐらをかいて座っている恭子は、火野と同じ金色の前髪を後ろへかき上げる。
観念したように恭子は話を続けた。
「実はアンタがバイト行ってる間はずっとこうして一緒に過ごしてたんだよね。知ってる? この子、お腹のところにしずく型の模様があるの」
「え、マジで?!」
それを聞いた火野は恭子の膝の上でお腹を見せて眠る猫の元に駆け寄る。
「ほら、ここ」
「マジだ……」
この時、火野は急に懐かしい感覚に襲われて一瞬体が固まった。
ポカンと一点を見つめて動かない火野に異変を感じた恭子が、「正太郎?」と声をかける。
「なんか……さ、ガキの頃にも似たような事あった?」
「……あー……」
恭子も火野に言われて何かを思い出したのか、部屋の隅をぼうっと見つめて記憶を探り始める。
すると二人とも同時に「あ!!」と顔を合わせて大声を出し、眠っていた猫の体が驚きで数センチ飛び上がった。
「思い出した。アンタさ、幼稚園の時公園で遊んでたら猫拾ってきて私んとこに連れてきたよね?」
「そう、それだ。姉貴も俺もかわいそうだから家に連れてってあげようって家に帰ったら、猫嫌いな親父にブチ切れられたよな。今すぐ捨ててこいって」
「泣く泣く二人で公園に返したんだよね。
……あの子、結局どうなったんだろう」
思い出した二人の肩はシュン、と下がり、また気持ちよさそうに眠りについた猫のお腹をくしゃくしゃと指先で撫でる。
「これはさ、なんかの縁なのかもしれないね」
「……そうだな。あの時俺らの手で幸せにできなかった猫の分、コイツを幸せにする責任感を感じたよ」
今は亡き両親の事、あの日捨てられていた猫の事、喧嘩しながらも何とか二人でここまで生きてきた事。
それらを考えてしみじみとしていると、火野が何かを思い立って部屋を見渡した。
「紙とペン貸して。コイツの名前、すっげえ良いの思い付いた」
ノートにスラスラとボールペンを滑らせていくのを後方から覗き込む恭子は、目を細めて難しい顔をした。
「そうじ……ろ……あめ?」
「総次露雨でそうじろう! 俺が族の総長だからコイツには次期総長と呼ばれるくらい強くなれって意味と、雨の日に拾ってき……
いだっ!!」
「暴走族のテメェと一緒にすんな! それにこの子はメスだよ。ここは流れ的に"しずく"だろうが!」
頭を叩かれた火野は顔をしかめる。
火野からノートとペンを奪い取った恭子は"総次露雨"の文字に大きなバッテンをつけ、上に"火野しずく"と丁寧に書いた。
――ピンポーン
玄関のチャイムが火野と恭子の耳に届く。
「アンタ何かネットで注文したの?」
「いや、俺はしてねえよ。誰だろ」
火野は恭子と子猫――しずくを残して玄関へ向かう。
「あーなんだよ、やっぱ家にいんじゃん」
「タツヤ」
扉の向こうには紙袋を片手にぶら下げたジャージ姿のタツヤが立っていた。
「家にいるんなら電話出ろよな。まぁ正太郎んち徒歩五分だから、いなかったら帰ろーと思ってフラッと来たけどさ」
「悪い悪い。どした?」
ガサガサ音を立てながら紙袋に手を入れたタツヤは、中から子猫用のミルクやキャットフードを取り出して火野に見せた。
「母ちゃんに正太郎の猫の話をしたら母ちゃんのパート先の人がくれたんだ。いっぱい買い込んだは良いけどあっという間に大きくなって余ってるからあげるってさ」
「マジかよ。すっげえ助かるわ」
玄関先で話していると、しずくを抱っこした恭子が火野達の元へ歩いてきた。
「タツヤじゃん。久しぶりー」
「お姉さんお久しぶりっす。あ、それが噂の捨て猫っすか」
「そうそう。てかタツヤ、見ないうちに随分太ったんじゃない? ますます彼女できなくなるよ」
「う……相変わらずデリカシーないっすね、お姉さん」
タツヤは胸元をぎゅっと掴んで、何かに撃たれたような動きをした。
火野は隣でケラケラ笑っている。
そんな三人を見てしずくも笑っているのか、目を細めて小さく鳴いた。
2019.919
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