イン・セブンス・ヘヴン


 表通りを一本隔てれば、いかがわしいホテルの立ち並ぶ繁華街の最中だ。
 昼間の光に照らし出され、今は穏やかに眠ってみえる夜の街の奥には、薄暗く陰気な廃ビルがある。誰も見向きもせず通り過ぎるような古びた鉄骨と鉄骨の隙間、瓦礫と埃に覆われたコンクリートの床の上に、男が一人横たわっている。細身の、黒髪の男だ。髪と同じ漆黒のズボンとシャツ、灰色のファーのついたコートを着ているが、今はそのどれもが埃にまみれてぼろぼろの布切れと化している。
 周囲を取り囲む、いかにもな風体の何人もの男たち。彼らは残忍な笑みを浮かべて黒服の男を見下ろす。いつまで寝てんだよ、情報屋さんよお?薄ら笑いを浮かべながら、一人が彼の腹部に向かって力任せに足を振り下ろした。がはっ、とうめき声を上げて、彼が身を丸める。口を押さえるようにして繰り返しえづくその様に構いもせず、他の男たちも次々に、まるでボールでも扱うかのように無造作に、彼の体を床の上に蹴り転がす。いいザマだなぁ、ったく。何されても文句言えねえよな、え?怨嗟の声を浴びながら、彼は身動きもしない。その様に苛立ったのか、一人の男が床に転がっていた鉄パイプを黒コートの背に振り下ろした。がはっと酸素を叩き出されて大きく反ったその腹部に、別の男が蹴りを入れる。
 暴力、暴力、暴力。法の届かない場所で行われる私刑は、時としてすさまじく残忍になりうる。男たちは彼を殺さないだけの分別は残っていたものの、死なせないぎりぎりの線におけるあらゆる暴力を振るい尽くした。何をしたところで訴えられやしないと、わかっているのだ。情報屋という職業は決して太陽の元を堂々と歩けるようなものではない。身の潔白を証明しようにも、初め男たちを“嵌めた”のは彼のほうなのだ。痛い腹を探られるくらいなら、黙ってこらえているよりほかない――そのことを、どちらも嫌というほどわかっている。
 彼は、何も言わなかった。
 男たちが彼に飽き、打ち捨てて去って行くまでのおよそ一時間半もの間。胃液の混ざった固形物を嘔吐し、整っていた顔が無残に血に汚れ、肩や脚の関節が外れて奇妙な方向に捩れても――生理的に上がるうめき声と悲鳴以外、どんな単語も口にしなかった。

 血と埃と嘔吐物にまみれて転がる、無残に汚れた男の姿。
 じっと動かない彼の背に、ふと、一つの声がかかった。
「――ご苦労さん」
 青空のように美しく、澄み渡った声だった。聞くものの耳を傾けさせずにはいられない、美しい声だ。そしておはようやこんにちはを通りすがりの人間に言うときのような気軽な調子で、美しい声は続けた。
 調子はどう?奈倉くん。
 見るだけで男の様子などわかるだろうに、状態など容易く見て取れるだろうに、声の主は動揺した様子も、人を呼ぼうとする様子もない。
 男は搾り出すように返事をした。・・・臨也、さん。へーえこれまたずいぶんやられたもんだねえ。その分だと、一切抵抗するなっていう約束はちゃんと守ったんだ?偉い偉い。わざとらしく拍手をしながら、声の主は男を褒める。楽しげに、嬉しげに、声の主は笑う。
 臨也がゆっくりと歩み寄ってくる。うまく開かないまぶたを懸命に引き上げて、薄目でその姿を見やった。
 あの男たちは俺の顔を直接には知らなかった。いや、それ以前に、もしも違和感を覚えたとしてもすぐに自分たちで否定してしまっただろうね。だってまさか、誰かの身代わりに私刑にあおうとする人間がいるなんて誰も思いやしないだろう?
 しかし奈倉くん、君の行いはまるでキリストのようだよ!人類の罪を全て引き受けて死に至った救世主のように、俺の行い、俺の罪、俺の罰はみんなみんな、君もともに背負うものだ。君はその運命を、愚かなことに、自ら引き受けてみせたんだ。あの日俺にナイフを向けた、その瞬間からね。
 そんな立派な奈倉くんには、ご褒美をあげなくちゃ。
 臨也は不意に右の靴をひょいと脱ぎ、次いで靴下も脱ぎ捨てた。無造作にさらけ出されたむき出しの白いくるぶしとかかと。繊細な足の爪を見せびらかすように少し上向かせ、そして彼はそれを躊躇なく奈倉の胴に伸ばす。
「・・・っ・・・・・・!?」
 滑らかな足裏の皮膚が、裂けた服の隙間から腹部に入り込んでくる。指先は、触れるか触れないかの距離でへそと腹筋の上をじわじわ這い回った。背筋を這い上がるきもちのわるい悪寒、を、押し広げるように白い足は胸元へと這い上がる。わざとのようにこね回され、ひどくゆるい快感が脳裏を犯しはじめた。悲鳴のように彼の名を呼ぶ。い、ざや、さ、・・・っ!?強烈な痛みが視界を引き裂いた。ぐうっと裏返る声、痙攣し引きつる手足。腹部の、鉄パイプで思うさま殴られたばかりの部分を、力任せに踏みにじられたのだと認識するまで数秒掛かった。一度ではない。白く美しい足は、淡々と残酷に、浮き上がる痣の上を力任せに踏みつける。いたいいたいいたいいたい、悲鳴のように引きつる耳元に、臨也の嘲笑が聞こえる。痛い?やめてほしい?がくがくと首を縦に振ると、彼はさらに嬉しそうに、酷薄に言った。
「へーえ、じゃあどうして君は今勃っているのかな」

 そうだ。誤魔化しようもなく今、奈倉は興奮していた。
 彼の足が傷口を踏みつけるたび、真っ赤な火花が目の前を散る。痛みに呼応するかのように肉体は歓喜の叫びをあげた。虐げられ、残酷に扱われ、無様にもがくさまを彼が笑うたびに。先ほど享受したゆるい快感の何倍も何十倍も、奈倉の体は興奮していた。硬くなった股間がズボンを押し上げているのがわかる。
 臨也の足が不意に止まり、ゆっくりと奈倉の股間に伸びた。足の腹を押し当てられ、恐怖と期待に喉が鳴る。ねえ奈倉くん、これを俺に入れたいんだろ?俺のアレに指を突っ込んで好き放題広げまくって覚えたての猿みたいに無様に腰を振ってさ、女の子にするみたいに俺を犯しまくりたいんだろ?足指がゆるゆると股間を撫でる。わざとのようにのろい動き。脳の奥がうるさい音を立てて鳴っているのが聞こえる。頭がいたい、耳がいたい。臨也が悪魔のように笑う。俺の服を引きちぎってさ、俺の腹と皮膚を撫でてさ、俺が今君にしてあげたみたいに、この胸をこねくり回したいんだろ、ねえ、奈倉くん?
 許してくれと叫んだ。もう無理だと喘いだ。臨也はそれでも楽しげに笑う。ううん、許してなんかあげない。君のしたこと全部、一生。君はずっと俺のものだよ。ずっと一生、俺のものだ。
 ほとんど悲鳴のような絶叫を上げながら、奈倉は、臨也のもたらす拷問を享受し続けた。そしてまた繰り返されるのだろうこの先のことを思い、――絶望できないこと、むしろ無上の幸福すら感じ取ろうとするこの心を、深く深く、恨んだ。

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