華奢な小瓶に愛二つ。


『今日 誕生日なのだろう?おめでとう』

そう笑いながら 今し方渡された小瓶を前に、ボクは少し 眉をしかめた。シンプルな硝子の中に閉じ込められているのは、うっすらと色付いたコーラルレッドの液体だった。蓋をしていても そこから漂う甘い香りが、鼻を掠める。
レドモンドも いい加減、変なものを渡してくれたものだ。彼に色恋沙汰を知られてから、やけに積極的に干渉されて来たが(恐らく 秘密を共有する仲間が出来たのが嬉しいんだろう、ブルーアーとはうまくいってるみたいだし)まさかこんな物を貰うとは思わなかった。

「‥‥愛の妙薬とか、馬鹿じゃないの」

口に出したら 急に恥ずかしさが襲ってきて、ボクは慌ててフードを目深に被り直した。『人の愛情を深める薬だ、ロマンチックだろ?』などど言われて渡されたが、どう美しい言葉で飾ったとしても これは惚れ薬‥‥詰まるところ 催淫剤や媚薬の類である事は明白だ。彼は恐らく、ボクらがそういう物を贈っても問題ない関係まで進んでいると知っているからこそ、これを贈って来たのだろうが‥‥正直 あの脳筋バカに薬なんぞが効くのか、というのかそもそも疑問に思えた。元々身体も強く、特に大食漢揃いの緑寮の監督生らしく、彼もまた胃腸には並々ならぬ自信があった筈だ。こんな少量の薬が 何か影響を及ぼすとはなかなか考えにくかった。

(って、別に 効いて欲しい訳じゃないんだけど)

自身の心の内に浮かんだ考えを打ち消しつつ、ボクはちゃぷん、と小瓶を揺らした。‥‥どうせ、薔薇とか イランイランとか、或いは‥‥ジャスミンとか、なんかその辺の植物を甘ったるい薬酒に漬け込んだ貴族の飲み物だろう。酒っていうより薬寄りだから 規則的にもセーフだな。

「ま、ただのお遊びだと思うけど」

そんな事を思っていると、校舎の向こうから 背の高い男が歩いてくるのが目に入った。金の髪を 一部の乱れも無く綺麗に撫で付けている。厳格そのものな姿だが、その表情が ボクを見た途端、ふわりと綻んだ。監督生しか足を踏み入れることの許されない芝生を横切って、一直線に此方へと駆け寄ってくる。

「バイオレット!」
「……そんなに走ると、靴がまた泥だらけになるよ。ミッドフォードが可哀想でしょ」

ロンドンの雨に打たれた草地は、過分に水を含んでいた。勢いよく地面を蹴ったせいで 皮の表面にはうっすらと汚れが跳ねている。また 寮弟の時間は靴磨きになるんだろうな。やけに最近 チェスロックの靴が綺麗になったのは、恐らくこの男の寮弟の手ほどきによるものだろう。気質は違うが、意外と彼らも上手くいってるみたいだし。

「ああ…そうか。俺としたことが、みっともなかったな」

だが、つい気がせいてしまって、と不器用に微笑まれると 何も言えなくなる。結局のところ、ボクはグリーンヒルに弱いのだ。顔では平静を装っていても、内心までは誤魔化せない。ああ、厄介だ。自分と此処までタイプの違う人間をなぜこんなにも好きになってしまったのか。これが彼のように実直な人となりでなければ、こんなにドキドキせずに済んだのに。

「随分、急いで来たみたいだけど、どうかした?」
「ああ、そうだった。」

すこし息を整えるように深呼吸をしてから グリーンヒルがポケットから何かを取り出そうとする。
…が、その動きが不意に、不自然に止まった。
大きく見開かれる瞳。そこに、僅かに しまった、と言う様な焦りの色がちらついた。

「? グリーンヒル?」
「え?あ、ああ…。いや、その、・・・今日は、誕生日だろう?だから…プレゼントに、と思ったんだが・・・被ってしまったな。」

それは香水瓶だろう?と 彼の視線がボクの手に落ちる。クリスタルの、美しいボトル。薄桃色の液体の入ったそれは、確かに 見ようによってはパヒュームボトルにも見えた。

「ううん、違うよ。これは別物」

否定しながら、それをポケットにしまい込み、反射的に顔を伏せる。…中身がいかがわしい物だとわかっている身としては、この男にそれを見られた事自体が居たたまれなかった。しかも、彼が来たとき 自分はコレをしげしげと見ていたのだ。…顔から、火が出そうだ。

「なんだ、違うのか!…それは、よかった」

此方の気など知らない男は、安堵した表情で今度こそポケットから何かを取り出した。細長い 四角い包み。それをボクの手の上に乗せた。

「 誕生日、おめでとう。バイオレット 」
「・・・ありがとう」

素直な言葉が じわりと胸に染み込む。既に朝から 紫寮の後輩や同級生たちから山ほど「おめでとう」という言葉を貰っていたが、…彼からのそれが 一番、嬉しく感じた。現金だと思うが、此れも惚れた欲目だろう。

「開けていい?」
「ああ」

薄紙を何重かに重ねた手の込んだ包装を解くと、中から少し古びた箱が出てきた。さっき香水瓶だと言っていたわりには、随分と小振りだ。珍しいな。そんな事を思いながら蓋を開いたボクは、文字通り 目を見開いた。

「こ、れ・・・っ」

中に入っていたのは、細い香水瓶だった。だが、それはポケットの内にある小瓶のような透き通ったガラス製ではなく…全体が美しい紫に彩色されていた。ギロッシュエナメル。繊細なシルバーの彫金の上に施されたバイオレットブルーの透き通った光沢が、ロンドンの曇天の下で、柔らかく輝いた。

「この間、香水瓶を割ってしまったと嘆いていただろう。だから、この間 実家に帰ったときに、買っておいたんだ。・・・気に、いらなかったか?」

少し心配そうな表情で此方の顔を覗き込んでくる男に、ボクは勢いよく首を振った。…頭が 真っ白になりそうだ。いくら ボク達が貴族に名を連ねる者だからといって、こんな作品は 易々と手に入る物じゃない。かの有名なファヴェルジュの手法の如き繊細な彫金は、溜息が出るほど綺麗だった。青みがかった筒部分と、銀細工の蓋部分とのコントラストが 手掛けた職人の芸術性の高さを伺わせる。その価値が解らぬほど、愚かでは無かった。

「こんな、高価なもの‥‥」

貰えない、と続けようとすれば 無骨な手で口を覆われる。緩く首を振り、グリーンヒルは少し 照れ臭そうに笑った。

「‥‥母と出掛けた先で、それを見付けて‥‥すぐに、思ったんだ。お前に ぴったりだと。
派手すぎないから 男が持っても、違和感が無いだろうし‥‥何より お前は意外と物を投げる傾向があるからな。硝子よりは 多少は割れにくい筈だ」
「だからって・・・」

それでも 手放しにありがとうとはなかなか言えなくて、戸惑っていると 男が香水瓶ごと、ボクの手を握り込んだ。…筋肉が多い彼の身体は どこに触れても温かい。それは末端である指先でも同じで、体温の高い彼の指から じんわり、と温もりがボクの肌に移ってきた。

「なぁ、貰ってくれ、バイオレット。俺も 英国紳士の端くれだ、…恋人に差し出した贈り物を返されるほど 悲しい事はない」

そうまで言われると 此方も折れるしかなく、ボクは恐る恐る 手の中のパヒュームボトルに意識を向けた。それは本当に、一流の職人の技が詰め込まれた 一級品だった。名のある貴族や 可憐な貴婦人が持っていても、遜色無いほどの美術品。それが ボクの手中にある事も、そして・・・こういう宝飾品に疎そうなグリーンヒルから贈られた事も、何だか 不思議な気がした。

「・・・わかった。大事に使わせてもらうよ」

僅かにぬくもりの移った滑らかな表面を撫で、そっと呟けば 彼は嬉しそうに表情を綻ばせた。その顔つきから、本当に彼が ボクが気に入るのか、心配していた事を知る。…馬鹿だな、キミがくれるプレゼントを、嫌うわけ無いのに。

(って言うかボクばかり、貰いすぎじゃないのかな)

以前の彼の誕生日には、確か『何か手作りの物が欲しい』といわれ、彼の古くなったクリケットのバットに彫刻を施した。多少時間はかかったが、彼のお気に入りだというアーサー王の一幕をバットの片面に彫り、裏面に…紫で I 0 U と小さく書き添えたのだ。幸い、貰った本人以外はそのサインに気付かなかったらしく、皆が祝福ムードで騒ぐ中 一人だけ、真っ赤な顔をしていたっけ。懐かしいな。
金額と気持ちが天秤にかかる訳では無いけれど、それでも一般的に見て ボクの方が、明らかに貰いすぎていると思う。けれど、かといって此れを返す手段はもう無いし、何か別の贈り物をするには時期がずれてしまう(というか、何かの切っ掛けがないと彼は贈り物とかそういう物は受け付けない人間だし)。どうしたものか…。そう思ったボクの脳裏に、左のポケットに入った あの小瓶の存在が浮かび上がった。カッと熱くなる頬を自覚しながら、そっと其処へ手を忍ばせ 小さなガラス瓶を握り締める。・・・物、ではないけれど コレなら、或いは補填、出来るのでは無いだろうか。ただし、ボクが死にそうな目に会う事になると思うけど。
散々、頭の中で迷ったものの、それ以上 良い案など出てこなくて、覚悟を決めたボクは 大きく深呼吸をしてから、背の高い彼を見上げた。

「ありがとう、グリーンヒル。…でも、このまま 貰うのは、気が咎める」
「?」
「だから・・・これを、あげる」

彼の手に 華奢な小瓶を握らせ、ボクは上気した頬を隠すように目の前の広い胸板に顔を押し付けた。バイオレット!?と慌てた様子の声が聞こえるが、そんなの知った事じゃない。…こっちだって、すごい、緊張してるんだ。心臓が、壊れそうなんだから、少しは察してよ、なんてズレた事を思う。

「な、なんだ、急に・・・っ。というか、これは、何なんだ?!」

慌てる彼に抱きつきつつ、ボクは 本当に 小さな声で、答える。

「・・・レドモンドから、貰ったんだ。…キミに 任せる」
「? それは、どういう・・・」

首を傾げるグリーンヒルの腕の中から一旦顔を離し、代わりに 少し背伸びをする。首に手を回し、耳元に口を寄せる。・・・ああ、恥ずかしすぎて、本当に死にそうだ!

「・・・媚薬なんだ、それ。」
「!?? な、なななな・・・ッ?!」

紡がれた言葉に 彼の顔が真っ赤に染まる。それに釣られて、自身の体温も更に上がってしまいそうになるのを必死で堪えながら、ボクは何とか 最後まで言葉を口にする。

「 だから…キミの、好きにしていいよ? 」

羞恥心をかなぐり捨てて そう誘惑の言葉を囁けば、ぎゅうっと強く 抱きしめられた。

―――肩口に埋められた男の唇から、低い声が漏れる。

その言葉に ボクは一瞬、息を飲んでから・・・それから 小さく頷き、彼からの願いに応えたのだった・・・



END


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