-霧雨の午後-
さらさらと雪のように細かい雨がこの二週間降り続いている。ここのところ尸魂界は忙しい。忙しいうえにこの霧雨。加えて朽木隊長の妹君が行方不明だとか。なんだかこのまま旅渦あたりが来そうですねえ、なんて話を市丸隊長としたのは記憶に新しい。
そう、先程も言った通り今この尸魂界は忙しい。私みたいなしたっぱ隊士にすら仕事が回ってくるのだ。席官クラスならもっともっと仕事があって大変なはず。それなのに。
「名前くん」
「吉良副隊長、何ですか」
「少し手伝ってもらいたいんたけど」
「わかりました」
「すまない」
机にむかって筆を滑らす。この書類は八番隊、あれは二番隊、ああ四番隊に書類貰ったんだ市丸隊長に判子…と考えていたときに自隊の副隊長に声をかけられた。本当は綺麗であろう金髪がパサついて元気がないように見える。おおかた、市丸隊長の仕事も押し付けられて手におえないのだろうと思い、筆をおいて吉良副隊長のあとを追いかけた。
連れてこられたのは吉良副隊長の自室。吉良副隊長らしい整理整頓のきちんとされた部屋。じろじろと不躾にも部屋を見渡してしまい吉良副隊長に「こら」と軽くこづかれた。
「それで吉良副隊長、仕事というのは?」
「これだよ」
私が聞くと吉良副隊長は壁に寄りかかるようにして座り込み手招きをした。何の疑いもなく吉良副隊長のそばに近寄ると吉良副隊長はにこりと笑った。
「えっ」
腕を引っ張られてぐるりと視界が反転した。気付いたら目の前には吉良副隊長の顔が私を覗き込んでいて、私の頭は吉良副隊長の太ももにしっかりとのっていた。一瞬時が止まったような感覚に陥った。しとしとと雨が屋根を叩く音が幽かに聞こえる。
「えっと、まったく話が見えないのですがおろしてもらえませんかね」
「これが仕事さ」
吉良副隊長は私を見下ろししれっと言った。だがそこには確実にげんなりとした雰囲気が漂っていておそるおそる声をかけた。なお私は今、吉良副隊長による塞で動きを封じられたためおとなしく動かずにいる。縛道の一で封じられる私も私だよな、と心のなかで肩をおとした。
「…市丸隊長ですか」
「ああ…うん…」
なんでも市丸隊長が「君ら二人が働きすぎでボク見てられへんわァ」ということらしく、今日は二人揃って休暇をとれとのこと。他の席官にも執務室を追い出されやることが本当にないらしい。
正直、市丸隊長が仕事しないから私らこうなってるんですけどね。
「ということでさ、少し眠りなよ」
「いや、上官を差し置いて寝るのは…」
「構わないよ」
そうは言われても上官の膝枕、いや、腿枕で寝るのは忍びない。というかありえない。前代未聞だと思う。どうしようか考えていると吉良副隊長は私の頬をするりと撫で少し悲しそうな顔をした。
「名前くん、クマができているね」
「…や、吉良副隊長もできてますよ」
私のクマなぞ化粧で隠せるからよいものの、吉良副隊長のクマは幸薄そうな顔がさらに酷くなって痛々しい。吉良副隊長にせめて、と思いながら両腕を塞がれながらも回道を施した。
「ん………少し胃痛が収まったような、ありがとう」
「いいえ」
そう私が答えると吉良副隊長は「お返し」と言い私の額にぺたりと手を当てた。ひんやりしていてびくっとしたけれど、気持ちよくて目を細める。まるで、今も降り続く柔く細い霧雨のように優しい冷たさ。
「あ…そうだ、あとで散歩にでも行こうか」
「ええ、雨ですよ?」
「雨の日の散歩もなかなか乙なものだろう」
「…そうですね」
「こうなったら休暇をとことん、楽しもうじゃないか」
吉良副隊長の手のひらを額にじんわりと感じながらわたしは目を閉じた。すると、数分もしないうちにすうすうとした寝息が聞こえて驚いた。吉良副隊長が寝ちゃったよ。筋のとおった綺麗な鼻に少し骨ばった頬。疲労の色が見える顔は、今は少し安らかそうだ。よほど疲れていたんだな、と感じる。
「私なんかより、ご自分の体を大切になさってほしいな」
「……」
「おやすみなさい」
私も目をつぶり一眠りしようと思った。起きたときに、あの少しへなちょこな笑顔でおはよう、と言ってくれるのを願いながら。