2012-03-03
【恋はふたりで】
「うう、気持ち悪い…」
仕事帰り、スーパーの袋をテーブルに置いた羽鳥が見たのは、ソファーに蹲(うずくま)る青息吐息な恋人と、荒れたキッチンだった。
「何をしてたんだ?吉野?」
「味見…」
「味見??」
キッチンの作業台は斑(まだら)模様に茶色くなり、床にも落ちたその物体から甘ったるい匂いが漂ってくる。
(チョコレート?)
そう思った羽鳥だったが、さすがに舐めて確かめる訳にもいかず、とりあえず、この正体が書かれているであろう、隅に追いやられ同じく茶色に汚れたレシピと思わしき雑誌を手に取った。
「簡単トリュフの作り方…」
どうやら、甘い匂いの正体はチョコレートで間違いないようだ。
明日はバレンタインデーである。
別名『製菓会社の陰謀に踊らされる女子がチョコを買い漁る日』でもある。
「吉野!なんで、トリュフなんか作った!」
「片付けるのは俺なんだ、分っているのか」と続けようとしたが、吉野の言葉で遮られた。
「トリュフなんかで悪かったな!」
そう叫んだ吉野は、胃を抑えながら寝室に入ると、バタンと音を立てて扉を閉めた。
内鍵が掛る音がして、羽鳥は自分の言った「トリュフなんか」が、"地雷"だったと気付いた。
しかし、それも“無理がない話”だという事を聞いてほしいと、羽鳥は思うのだ。
確かに、今回は付き合って初めてのバレンタインではある。
が、去年も同じような事態になった事を羽鳥は覚えている。
去年のバレンタイン、吉野は同じようにキッチンに立ち「生チョコを作る!」と意気込んで、見事に失敗し、羽鳥に泣きつき代わりに作ってもらったのだ。
勿論、吉野自身が食べるため。
その前のバレンタインも、その前のバレンタインも…。
羽鳥にとってバレンタインは『吉野が失敗したレシピを作ってやる日』なのだ。
それがどうだ。
今年に限っては違うようだ。
吉野は、羽鳥の為にトリュフを作っていたのだ…たぶん…。
それを気付かずに「トリュフなんか」と言った羽鳥は確かに悪い。
『しかし、今までの習慣上、仕方ないだろ…』と、羽鳥は柄にも無く肩を落とすのであった…。
扉に向かって詫びを入れた所で、妙に頑固な吉野には逆効果だろうと、羽鳥は晩御飯の準備を始めた。
勿論、荒れ果てた台所掃除込みで…。
+++
籠城を決めた所で、水も食料もトイレもない寝室に何時間も籠れるはずもなく、吉野は仕方なく寝室の扉を開けた。
テーブルの上から漂うイイ匂いに、腹の虫が鳴いて、その音が聞こえたか聞こえていないかは不明だが、羽鳥に「腹減ったなら、出て来い」と声を掛けられた。
「雑炊なら食えるだろ?」
本当はハンバーグの予定だったが、顔色の悪い恋人のため、献立を変更した。
そんな羽鳥とは目も合わさず、吉野は「いただきます」と小さく呟き、食事に手を付けた。
しばらくは、何も話さず何も聞かずだったが、そんな無言の食卓を終わらせたのは、羽鳥だった。
「吉野、さっきは悪かった…すまん」
「…」
「…なぁ、吉野。
明日、休みだから、今日、泊ってもいいか?」
羽鳥の問いかけを一切無視して、吉野は食事を進める。
「トリュフ…」
籠城の原因である菓子の名を言われ、吉野が口を尖らせる。
「どうせ、俺は、不器用で何も出来ないよ…」
捻くれた性格などしてないが、決して素直でもない。
でも、羽鳥はそんな吉野を見放さない。
「一緒に、作ろ…」
「へ?」
「トリュフ、一緒に作ろ…」
そう優しく問いかけられ、吉野が羽鳥を見ると「なっ、吉野」と、微笑んだ。
「で、でも、俺が作ったら、絶対失敗するし」
「俺が隣にいるから、失敗しない」
「それに、腹壊すし」
「俺の飯で、腹壊した事無いだろ?」
「お前は、女の子から貰うだろ!」
「お前のチョコがいい」
赤面した吉野は、コクリと頷き「俺もお前のチョコがいい」と呟き、少し冷めた雑炊を口に運んだ。
恋も仕事も飯も、ふたりがイイ。
お前が居れば、大丈夫。
きっと、ずっと、大丈夫。
※ただし、この夜、吉野が何時に床に就けたか、はたまた、翌朝起きる事が出来たかは、また別の話…。
+++
某バレンタイン企画に参加出来なかった悔しさから作成した突発的SS。
昔、姉が作ったトリュフを毒味して、胃もたれした事を思い出しながら執筆。
タイトルは、堂島孝平さんの曲から拝借。
2012-02-18→2012-03-02