2012-04-01
小さな首輪のお返し
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【ドアをノックするのは誰だ?】
「専務!」
会社の地下駐車場で送迎車に乗り込もうとしていた所、後ろから声を掛けられる。
振り向かなくてもわかる声の主に「なんだ?」と乗車しながら答えると、少し息を切らした声の主が、少し不機嫌そうに「ドコに帰るおつもりですか?」と言ってきた。
「どこって、自宅だけど」
「ご実家ではないのですね」
「なんで、実家なんだよ」
「コレ、いるでしょ?」
そう言われて、目の前に出されたのは、キーケース。
「あっ」
「『あっ』じゃ、ありません。
これで何度目ですか!」
「あーもー、うっせーな」
「大の大人がカギを落とすなんて、少しは恥ずかしいと思いなさい」
「へいへい」
「この際、首からぶら下げておいたら宜しいのでは?」
「じゃぁ、ネックストラップでも用意しておけ」
扉を閉めようと待機していた運転士に目配せする龍一郎。
音を極力立てずに閉められた扉によって、夫婦喧嘩のような会話はシャットダウンされ、車は地下駐車場を後にする。
ルームミラーには、どんどん小さくなる低頭する恋人の姿。
少し荒れた心のまま、龍一郎は流れゆく街をぼんやりと眺めた。
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「先日おっしゃっていたネックストラップ用意しておきました」
「もしかして、コレか?」
恋人宅のソファーで新聞を広げていた龍一郎は、目の前のローテーブルに置かれた手のひらサイズの小さな紙袋を指差す。
「はい」
さもありなんと言わんばかりに応えたその声に、若干の苛立ちを持って龍一郎は返す。
「お前は、バカか!」
「と、おっしゃいますと?」
「あれは、冗談だ」
「わかってます、そんなこと」
「第一、大の大人がカギっ子よろしく、首から鍵ぶら下げていたら笑いモンだ」
「そう言う事は、鍵を落とさなくなってから言いなさい」
「とりあえず、いらん、こんなもの」
龍一郎は目障りな紙袋を小突いて端に追いやろうとしたのだが、妙な重さが邪魔をして、なかなかその場を離れてくれない。
その場に留まる紙袋に『ネックストラップってこんなに重いか?』などと思いながらも、何度か小突いていのだが、送り主が「では、返品してきます」と取り上げたせいで、最後の一突きが空振りに終わる。
「ちょっと、待て」
「なにか?」
「中を見せろ!」
「いらないのでしょ?」
「見るくらいいいだろ、さっさと寄こせ!」
龍一郎は、その紙袋を奪い取り、中を改める。
覗けば、青い紐の束の隙間に銀色に光る何かが見えた。
「お前、コレ…」
紐を引っ張って、最後まで出し切ると、その先端には鍵が一つ付いていた。
そのカギは、龍一郎が唯一手に入れたいと思っていた鍵。
でも、手に入らなかった鍵…。
「ご不要ならば」
「…いる」
「先程、いらないと」
「気が変わった」
「そうですか」
「でも、いいのか?」
「何がですか?」
優しい声色に、手元の鍵から目線を上げると、その先にあったのは、いつものポーカーフェースではなく、優しい微笑み。
「こんなもん渡したら、居座るぞ、俺」
「ええ、居座って下さい」
龍一郎の手からそれを取り上げると「なくさないで下さいね」とネックストラップを首に掛け、ノットの緩んだ首元に鍵を放り投げる。
一瞬、ヒヤっと金属特有の感触が胸に走ったが、身体ごと、その長い手に抱きすくめられ、冷たさは薄れた。
「私の心にも、私の部屋にも、当然の様に居座って下さい、龍一郎様」
忠犬から首輪を送られた飼い主は「ったく、仕方ねぇから、居座ってやるよ」と、赤面した顔をその胸に埋め、広く暖かな背に手を回した。
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龍一郎に合い鍵をあげ隊に入隊希望です。
入隊届けは何処で受理してもらえますか?春菊てんてー!
タイトルは、小沢健二大先生の名曲より…。
2012-03-14→2012-03-31