2012-02-22
+++
「あっ、お袋?ちょっと今から帰るから」
夏の日差しが照りつける坂道を吉野は、母・頼子に電話しながら、ズンズンと進んでいく。
地下鉄の駅までもう少し。
「へ?夕方から出掛けるの?千夏は?」
その後ろで羽鳥は『万年引きこもりなんだからあんまり無理すんなよ』と、過保護気味に見守る。
「あー、もういい、とりあえず、帰るから!
ったく…」
吉野は折り畳んだ携帯を粗雑にポケットに突っ込むと、先ほどよりも歩を速めた。
+++
見慣れた商店街を抜けると、吉野の家はすぐそこだ。
「ただいま」と、玄関扉を潔く開けたと思いきや、その足で、バタバタと二階へ上がっていく。
「おかえり――って、千秋は?」
リビングから出てきた頼子は、敲(たた)きに羽鳥を発見すると、そう問いかけた。
「お久しぶりです、小母さん」
「こんにちは、芳雪くん」
「吉野、二階に」
「あの子は…まったく」
「探し物があって」
「そうなの?
今から出掛けるのよ、あの子鍵持ってるのかしら?」
「たぶん、持ってないと思います」
「仕方ないわね…」と二階に上がろうとする頼子に「もしよかったら、預かります」と羽鳥は申し出た。
「お構い出来なくてごめんね」と言う頼子から鍵を預かると「気にしないで下さい」と、微笑んで靴を脱いだ。
第二の実家と称しても良いほど通い慣れた吉野の家の階段を羽鳥が上がり終わると、奥の扉の向こうでガサゴソと音がした。
見慣れた扉を開けると、吉野は押入れに頭を突っ込んで黙々と宝探し中。
「あったか?吉野」
「ん〜」
「小母さん、出掛けたぞ」
「…うん」
誰も使ってない部屋の湿度は、不快と通り越してなんとも言えない空気を漂わせていため、羽鳥は、抜かれたエアコンのコンセントを差し込み、窓を開けて、送風モード全開にした。
「ないなぁ?」
「言っても、3年も経ってないんだ」
「お袋が別の部屋に移したか?」
「もう、出て行ったぞ」
「え?マヂ?」
「さっき言っただろ、人の話を聞け」
羽鳥は、吉野の首根っこを掴むと押入れから引きずりだした。
「った、なにすんだよ」
「こっちだ」
「へ?」
「こっち。
スケッチブックしまったのは、反対の押入れだ」
あの冬の日、三沢の家からの帰路。
吉野は、実家に寄りそのスケッチブックを押入れに入れたのだ。
無論、その時も羽鳥は一緒だったわけで、その事を記憶していた羽鳥は、スケッチブックは左じゃなくて、右の押入れだと指差した。
「そうだったけか?」
「そうだ」
「なんで、お前が覚えてんだよ」
「じゃぁ、逆に、なぜお前は覚えてない」
「…人間は忘れる生き物なんだよ」
「言っておくが、俺も人間だ」
そんなやりとりをしながら、吉野は言われた通り右の押入れを開けた。
「あっ」
「とりあえず、スケッチブック見る前に、押し入れに入ってたものを元に戻せ。
俺はお茶を入れてくる」
羽鳥は、窓を閉め、エアコンを冷房に設定すると、階段を下りて行った。
『なんで、あいつ、覚えてんの…。まぁ、見つかったから良いけど。とりあえず、これ片付けないとなぁ。』と、ブツブツいいながら、足元に散らかった物を、左の押入れに直す吉野であった。
リビングから拝借した新聞を読んでいる羽鳥の横で、嬉々とスケッチブックを捲る吉野が、パタンと表紙を閉じた。
「よし、なんか、描ける気がする!」
「それは、よかった」
「バンバン描くぞ!」
「そうしてくれると、助かるな」
「じゃ、帰るか」
「吉野」
「何?」
「そんなに、大切なら持って帰ればいいんじゃないのか?」
少し間を置いて「いや、ココに置いて帰る」と、言った吉野は、何故か赤面していた。
「見られたらヤバいし」
「別にヤバいものなんて描いてなかったと思うが」
「ヤバいって言うか、見られたくないっていうか」
「誰に?」
「アシの子とか、優とか…」
「俺はいいのか?」
「お前は…」
「なぜ赤面する」
「わっ!」
羽鳥は吉野の手からスケッチブックを取り上げると、最後のページを開いた。
そのページだけは、三沢の家でも見せて貰えなかったのだ。
『赤面の原因があるとすればソコだろう』と羽鳥の勘は働いたのだ。
「おい、吉野」
「な、なんだよ!」
「お前が人に見せたくないのは…、最後のページか?」
「…」
「黙るな、吉野」
「…そ、そうだよ、悪いか!」
「『Marvelous!!愛を感じます。』」
「先生のコメントを読むな!」
「いや、そうか…」
「ニヤニヤすんな!トリ!」
「すまん、顔が戻らん」
スケッチブックの最後のページには、羽鳥の寝顔が描かれていた。
日付は8月30日。
それは、三沢が教職を辞する前日のモノだった。
その後「寝顔じゃなくて、ヌードなら何枚でも描かせてやるぞ」と、羽鳥に耳元で囁かれ「い、いらん!」と断ったが「俺が見たいんだ、なぁ、千秋…」と、押し倒された吉野であった。
<< >>