2013-01-04
米俵って英語は存在しません。
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改札を出た途端に、携帯が震えた。
鳴ったのは、会社から配給されている方だ。
自ずと相手は特定される。
秘書室のメンバー、または…。
開いたディスプレイには“井坂代表”と表示されている。
「はい、朝比奈です」
『あっ、薫君、お疲れさん』
「お疲れ様です。
社長、何かお忘れ物でも?」
『別れて早々に悪いんだが、こっちに来てくれないか?』
「…はい?」
『いやな、龍一郎が…』
私は踵を返し、改札を通りなおした。
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先程まで、社長のお供として、とある団体の会食に招かれていた。
会食と言っても、ホテルなどで行われる大きいものではなく、こじんまりとした小料理屋でおこなられた内内の物。
本当は、女性秘書が付いて行った方が華があると言う物だが、社長の第一秘書である副室長がインフルエンザでダウンしてしまったのだから仕方ない。
研修の為、室長も泊り出張中とくれば、第二秘書の私がお供をするのは当然で…。
お相手が女性だった事もあり、結果的には私がお供をして良かったと社長にお言葉を頂けたのでよしとしよう。
秘書3年目だが、まだまだ半人前だと日々反省する。
何より、男性秘書というのは、人数が極端に少ない。
男性だからと言ってしまえば、言い訳になるが、やはり女性の気配りほど感心するものはない。
ただ、室長を始め、秘書室のメンバーは「男性だから、女性だから」と言う部分を排除して仕事をしているように感じる。
そのおかげで、私もこの仕事に誇りを持ち、楽しみも感じる。
覚える事はまだまだ沢山ある。
どうすれば、社長が心地よく仕事ができるのだろうか?と考え続けている。
何より、思い人が私を取り戻しにくると宣言したのだから、ココで待つのが私の運命なのだろう。
そして、その想い人は…。
「おう、薫君!」
社長宅の玄関扉を開けると、上がり框に転がる物体…。
そして、それを取り囲むその物体の両親と私の母…。
電話で話には聞いていたが…。
― 何かお忘れ物でも?
― 別れて早々に悪いんだが、こっちに来てくれないか?
― ?…はい
電話口の社長に、慌てる様子はない。
ただ、呆れる様子は伺える。
― いやな、龍一郎が…。
― 龍一郎様…ですか?
― あぁ、酔って帰ってきたようで、玄関で寝ているんだよ…。
声を掛けても起きなくてね。
持ち上げたいのは山々なんだが、生憎、君の親父さんも他の男手も居なくてね。
私も腰の具合が…。
― わかりました。
今から参ります。
― あっ、タクシーを使ってもらって構わないから。
― はい、すぐに電車が来ますので、20分程で着けると思います。
― すまないね、宜しく頼むよ。
そして、私はここにやって来た。
「すまない、薫君」
「いいえ、気になさらないで下さい、旦那様」
私は、玄関先で寝ている龍一郎様に、溜息を吐いた。
「まったく我が息子ながら呆れるよ…。
龍一郎…ほら、起きなさい」
旦那様の問いかけに無反応の龍一郎様。
「龍一郎様、このような場所に寝られては風邪をひきます」
「んにゃ??…あさひなぁ??」
「まったく…こんな年になって……、…っ!」
龍一郎様を上がり框に座らせ、敲きに跪くと、ネクタイを引っ張られキスされそうになる。
毎度毎度だが、この仕方でキスされた事は数知れず…。
「龍一郎様っ!!」
「んにゃ??」
二人ならまだしも、周りには、旦那様と奥様、自分の母親+その他使用人の女性が数名。
さすがにキスは不味いと、その手を払って、龍一郎様を米俵の要領で肩に担ぎ、立ち上がり、靴を脱ぎ捨る。
「おお、さすが、薫くん!!」
と、勇ましい姿に拍手する観衆。
本人としては、公衆キスを回避しただけなのだが…。
まぁ、結果オーライ…だろう。
「申し訳ありません、靴をそのままに致します」
「ああ、そんな事は気にしなくていいから、さっさと運んでやってくれ」
「では、失礼致します」
階段の一歩目に脚を掛けて、ふと首だけを振り返らせれば、旦那様と奥様が心配そうに私を見ていた。
「あと、万が一と言う事も考えられますので、今晩は龍一郎様の部屋におりますが…」
「あぁ、私達もその方が助かるよ」
「そうね、ごめんなさいね、薫くん…」
「いえ、とんでもございません。
では、おやすみなさい」
二階へ向かう。
大の大人を担いで登るには、ちとヘビーだ。
「まったく…」
愚痴る相手などいないし、今更、何を言っても結局一緒なのはわかっているのだが、漏れてきたモノは仕方ない。
私は、一歩一歩、階段を踏み外さないように、慎重に歩を進めた。
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