2012-06-09
ミスクラのくろかみさんが、お誕生日だと聞き書いてみました。
ちなみに、元ネタはくろかみさん発です(笑)
お誕生日おめでとうございます★
これからも宜しくお願いします(* ̄∇ ̄)ノ
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午後十時。
30分前に朝比奈が帰宅したのは知っている。
だから、俺はこうしてココに居るのだ…。
玄関にあるインターホンを鳴らそうと思ったら、女に声を掛けられた。
「龍一郎坊ちゃま?」
朝比奈の母だ。
大学四回になって「坊ちゃま」なんて人が聞いたらバカにされているようにも感じるかもしれないが、我が家の使用人達は俺をそう呼ぶし、俺もそれを拒絶するほどその呼び名に不快感は無い。
「本、返しに来た」
手に持っていた文庫本を振って彼女にそう言った。
「私から、薫に渡しておきましょうか?」
朝比奈家は我が家の離れに一家で住んでいる。
父は、親父のお抱え運転手。
母は、我が家の家政婦。
そして、息子である薫は…。
「いや、続き借りたいから」
「そうですか?」
差しのべられた手を断って「帰ってるよな?」と聞くと、彼女は鍵穴に鍵を差し解錠する。
我が家の敷地にある我が家の離れとは言え、朝比奈一家が住居としている以上、家主の息子とあっても勝手に入る事はできない。
「はい、帰っていると思います。
……靴も、ありますし。
さ、どうぞ」
敲きを見ると、皮靴が一足。
「オジャマシマス」
スリッパを床に置くと「かおるぅ〜、龍一郎坊ちゃまがみえてるわよぉ〜、かおるぅ〜?」と、二階に居るであろう我が息子に、彼女は声を掛ける。
が、返答はない。
彼女は、「やだわ、寝てるのかしら?」と、電気の付いていない階段の奥を見上げながらそう呟く。
「ちょっと、起こしてきますね、リビングでお待ち下さい」
「いや、いい、勝手に上がるぞ」
スリッパを突っかけ、階段の電気スイッチを押す彼女の横をすり抜けて、俺は電気のついた階段をパタパタと上がっていく。
にしても、この階段は狭い。
階段だけでは無い、家全体が狭い。
一家三人が暮らすには不自由ない広さと当人達は言う。
本当なのだろうか?
一階に、台所と居間、そして水回り。
二階に、両親の寝室と朝比奈の部屋と小さな納戸。
親父の書斎兼書庫として作った離れを少しリフォームして朝比奈家に宛がった。
三人家族が住む平均的な一軒家の広さとはどのくらいなのだろうか?
自分の住環境が恵まれているかどうかなんて、住んでいるとわからないもので、当人達が充分だと言っても、俺には手狭な掘っ立て小屋にしか見えない。
しかし、俺は、いつもココに来る理由を探している。
昔は、よく来たこの家も、歳と共に用事が無いと来なくなった。
理由なしに来てはいけないなんて誰にも言われてないが、俺自身が理由を探しているのだから仕方ない。
ちなみに今回の理由は、この手に持った文庫本を朝比奈に返す事だ。
狭くて急な階段を上り終えると、斜め前に扉がひとつ、その向かいにある和室の襖は開きっぱなしだ。
短い廊下は薄暗い。
が、さして新たな光源を付けるほどの事でもない。
階段を照らす電球の明かりだけで足元の安全なんぞは、ある程度確保できる。
俺は、木製の扉を控えめにノックした。
先程同様、返答はない。
「朝比奈、入るぞ」
鍵なんて上等な装置の付いていないドアノブを回すと、中から光が漏れた。
6畳ほどのフローリング敷きの部屋には、ベッドと勉強机、それと小さな洋服ダンス。
窓の無い壁には、天井まで届く大きな本棚。
目当ての人物はベッドの上に寝ていた。
寝ると言うよりは、寝落ちたと言った感じだろうか。
掛け布団の上にゴロリと寝ころび、腕で目元をカバーしている。
スラックスとワイシャツ。
社会人の朝比奈。
「疲れてんのな…」
ぽつりと呟くが、起きる様子はない。
本棚を見ると、俺が持ってない本がちらほら。
見た事のないタイトルの本を見付けては借りる。
【パンダニアの秘宝】
この本は、1週間ほど前に借りに来た。
『今度は、これ、借りて良いか?』
『パンダニアの秘宝。
構いませんよ。
全三巻ですが、全巻持って行きますか?』
『とりあえず上巻だけでイイ。
大して面白いわけじゃなさそうだし…、暇つぶしにはちょうど良い程度だな』
上巻の1ページ目を捲った時に“これは面白い”と思った。
『では、面白ければ、言って下さい』
『…あぁ』
中巻を借りた時。
『では、下巻も一緒に』
『いや、飽きるかもしれない』
上巻を読み終わった後に、一気に全巻読みたくて仕方なかった。
『そうですか?』
『読みたくなったら、また、借りに来る』
『面倒なら母に渡しておきますが…』
『いや、いい。
勝手に借りて行くから』
『勝手にって…。
プライバシーの侵害ですよ、龍一郎様』
『お前にプライバシーとか無い』
ベッドの上の朝比奈。
色素の薄い髪。
節ばった指。
上下にゆっくり動く胸。
よれたワイシャツ。
皺の入ったスラックス。
脱ぎ棄てられ靴下。
ガミガミ口うるさい唇は、薄ら開いて静かに呼吸する。
社会人と学生では、時間もなかなか合わなくて、ここ数週間、その姿を見ることもなかった。
お元気ですか?などと、手紙を出す様な距離でも関係でもない。
かと言って、用も無いのに部屋を行き来する様な事もない。
たった1年
されど1年
365日と分かっていても、その壁は高く、その溝は深い。
朝比奈は、親父の会社に就職した。
それは親父が「入れ」って言ったから?
じゃぁ、親父が「世話係卒業」って言ったら、お前は俺から離れて行くのか?
「気付け…、気付けよ、俺の気持ち…」
本棚にある下巻の背をなぞり、背後で寝息を立てる朝比奈に聞こえないくらいの小さな声で思いを吐き出す。
「って、ホントに気付かれたら…どうすんだよ…」
バカな片想いに苦笑してしまう。
俺がココに来たって証を残したくて、机にあったメモに“下巻、借りる。”と記して扉へ向かう。
「おやすみ、薫」
返事のない挨拶をして、壁にある電気のスイッチを切った。
俺は、下巻を返しに来るために、またココに来るのだろうか?
あの本棚から、俺の知らない本が無くなったら、今度は何を理由にすればいいのだろうか?
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