2012-05-01
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それは、俺が朝比奈薫と出会って間もない頃。
親父と朝比奈の両親が話しているのを、こっそり覗いた事があった。
朝比奈の両親は、親父の前で涙を流し、何度も謝罪と感謝の言葉を口にしていた。
幼い俺は、イケナイモノを見ている気がして、内心ワクワクしていた…。
全く、趣味の悪いガキだ…。
幼い俺は、その大人達の会話に出てきた【いっかしんじゅう】と言う、初めて聞く言葉の意味が分からなくて、いつもの好奇心で自分の辞書を引いた。
が、小学生用の辞書には載ってなくて、親父の書斎にあった一般向けの辞書を引き直した。
しかし、大人向けの辞書の説明が、小学一年のガキに理解できるはずもなく、何度も子供用の辞書を引いて、やっとその【いっかしんじゅう】という言葉を理解した。
普段なら、新しく知った言葉なんてのを使って、相手を感心させたりさせるのが、生意気な龍一郎君のステータスだったりするのだが、その時は、言葉の意味もさることながら、親父が朝比奈の両親に言った「この事は一切他言しないように」という言葉が…、いやその言葉の意味なんてわからなかったから、“その様子が”と言った方がいいのかもしれないが…、まぁ、とりあえず只事ではない気がして、幼心に『これは言ってはいけないことなんだ』と思った。
だから、俺は、両親にも、周りにいた大人にも、先生にも、友達にも、その言葉を使わなかった。
勿論、その出来事自体を朝比奈に言ったり、朝比奈の両親に聞く事もなかった。
そんなある日、俺は、新しく買ってもらったボードゲームをしたくて、朝比奈を俺の部屋に呼んだ。
一体どんなゲームだったかは忘れたが、昼過ぎから始めたゲームは、何度やっても朝比奈に勝てなくて…。
きっと朝比奈が特別に強いわけじゃなくて、俺が単に下手だっただけなのだろう。
朝比奈は何度か俺に負けようとしてくれたが、それが気にくわない俺は「ほんきでしろ!」と、怒って、何度も勝負を挑んだ。
しかし、小さな身体は疲れてしまったようで、いつの間にか二人ともカーペットの上でウトウトとうたた寝を始めてしまった。
目が覚めたら、カーテンの向こうは暗くて、何故かベッドの上に居た。
隣には寝息を立てている朝比奈。
後で聞いた話によるとと、カーペットの上で寝ている俺たちをお袋達が見付け、起こさない様にベッドに運んでくれたらしい。
それを見た、朝比奈の母親は、慌てて朝比奈を起こそうとしたらしいが、お袋が「そのまま寝かせてあげましょ」とか言って、そのままにしてくれたそうだ。
この後の展開を考えると、その時のお袋の判断に俺は感謝してしまう…。
話を戻そう…。
朝比奈は離れに住んでいるせいか、俺の部屋に泊まる事なんてなくて、俺はその時初めて朝比奈の寝顔を見た。
一つ年上の朝比奈は、俺より身長も高かったし、物静かで、ちょっと大人に見えていたのだが、その寝顔はやはり子供で、少し安心したのを覚えている。
俺は、そんな朝比奈を起こさないようにトイレに立った。
そして、小便を済ませて部屋に戻って来ると、朝比奈がベッドの上に座っていた。
暗い部屋でよく見ないと分からなかったが、その身体は震えていて、俺は慌てて朝比奈に駆け寄った。
ベッドに飛び乗ると、驚いた朝比奈がコチラを向いた。
「どうした?かをる?」
ビックリした顔をした朝比奈は、慌てて目のあたりを手の甲で拭いながら「なんでもありません」と答えた。
「おい、かをる?ないてるのか?」
「…いえ、だいじょうぶです。
なんでもありません」
心配になった俺は、朝比奈の前に回って、肩に手を置き、揺らした。
ふと合った目は、怯えている。
その当時の俺は「怯える」なんて感情を知らなかったが、その目が普通じゃない事くらいはわかった。
「なんでもなくない!」
「だいじょうです…」
「どっか、いたいのか?」
「だいじょうぶです!」
「おばさんよんでくる!」
「いやだ!」
「かおる?」
「おねがい!よばないで!」
本気で心配した。
腹でも壊したのか?まだ事故の傷が痛むのか?
しかし、いつもは声を荒げたりしない朝比奈が、語尾を強くして俺の心配を否定したのだ。
俺はそんな朝比奈に「ちゃんといえ!いわないとおばさんをよぶ!」と半ば脅しの様な事を言った。
今思えば、自分の好奇心が半分混ざっていたのだろう。
普段は、物静かで、その表情さえ変えない朝比奈が、ちらりと本心のようなモノを覗かせたのだ。
朝比奈は諦めたのか、頭を項垂れ話し始めた。
「ゆめを見ました」
「どんな?」
「…」
「こわいゆめか?」
「…はい」
「オバケとか?」
「…いえ、ちがいます…」
「エイリアンとか?」
その当時、俺の怖い物と言えば、映画や本に出てくるオバケや、想像上の生き物の様に、何か形のあるものだった。
しかし朝比奈はそうではないと言う。
「ひとりぼっちになる…ゆめです」
「ひとりぼっち?」
大人になれば、独り=恐怖と結びつける事がある程度は可能になるのだが、小学1年の脳ミソでソレを理解する事も出来ず、俺は『まるでわからない』と首を傾げた。
「なんで…?」
「えっ?」
「おまえ、母さんも父さんもいるだろ?
それにおれもいる!なんでひとりぼっちなんだよ?」
「それは…」
再び口籠った朝比奈に、俺はまた命令した。
「いえ!いわないと、おばさんよんでくる!」
「それは…」
「じゃぁ、いえ」
そして、朝比奈の告白が始まった。