Natural American SpiritB | ナノ


2012-04-19


+++


「にしても、丸川の新年会はいつ来ても豪華だね」
「まぁ、利益還元祭ですからね」
「言えてる」

 そんな事を言いながら、二人は最上階にあるラウンジに到着した。
 人が疎らに配置されていて、何人か作家も来ているのだろうか等と思いながら、龍一郎は、小沢とカウンター席に腰かける。
 バーテンの後ろにある大きな一面張りの窓からは、摩天楼と言わんばかりの都心の光がキラキラと瞬く。

「結構な消費電力だろうな」
「圭吾さんって、女と居ても同じような事言いそうですね」
「そうかな?結構ロマンチックな事言うぜ、俺」
「例えば?」
「ん〜『このくらい簡単にカロリーが消費できればイイのにね』とか」
「殴られますよ…女に…」

 隣でロマンも減ったくれも無い事を言う人生の先輩に龍一郎はそう言いながら、バーテンに「ソルティードッグ」と、オーダーを出す。

「じゃ、俺は、ギネス」
「ギネスって旨いですか?」
「ん〜、場所を選ぶね。
 こういう音楽があると飲みたくなる」

 薄暗い大人の空間に流れているのは、ジャジーなアルトサックスの音色。

「ロックなら完全にジントニックだけどね」

 センターにあるステージは使われていない…。
 普通ならバンドの生演奏がお決まりだが、龍一郎の耳に入って来るのは、時折、アナログ独特のノイズの混じった、名盤音源だ。

 無論、本当にアナログで鳴らしている訳ではないだろう。
 ちょっとイイスピーカーに、よく売られているCD音源なのは分かっている。
 こんなムーディーな所で、針が飛んだレコードなど、話のネタ所か笑い物にもならない。

「コルトレーンですね」
「をっ、若いのに知ってるね」
「まぁ、かじる程度ですけど…」
「Say it、あんまり好きじゃないけど、イイ曲だよね…」
「俺は結構好きですけど」
「そう?」
「ええ」

 そうこう言っている内に、二人の前にギネスビールとソルティードッグ、小皿に入ったナッツが並ぶ。

「では、これからのお互いの発展の為に」
「イイコト言うねぇ、龍一郎君は!」
「普通ですよ」
「そりゃそうか…。
 えっと、こちらこそ、今年もよろしくです」

 二人は、グラスを少し斜めに掲げた。
 龍一郎はグラスの淵に付いた塩と共にその柑橘の香りを喉に通す。

「それはそうと」

 一つ咳払いをした小沢がこちらを向き直し妙に冴えない顔をしたため、気になった龍一郎は「どうかしましたか?」と聞く。
 小沢は高く通った自分の鼻の頭をポンポンと指先で軽く叩き「トイレ行ってくる?」と、囁いてウインクした。

 その様子に、小沢が何を伝えたいか察し「失礼します」と少し苦笑して、席を立った龍一郎は、顔を下に向け少し歩調を早めにして、角にあるトイレへ向かう。

 道中、幸いな事に人とすれ違わずに済んだ龍一郎は、磨かれた鏡に映った自分の顔を、いや、鼻を凝視するのだが、小沢が指摘した様な事は無く『見間違いか?』と、入念に見るのだが、やはり、目を引くような影はない。

「つか、出てるなら、朝比奈が気付くか…」

 朝からずっと一緒に居る朝比奈が、龍一郎のプライドに関わるような諸注意を見逃す訳がない。
 例えば、ネクタイの曲がり。
 例えば、靴の汚れ。
 例えば、ジャケットの皺。
 例えば、寝ぐせ。
 例えば、カラーの黄ばみ。
 例えば、社会の窓の閉め忘れ。
 例えば、爪の垢。
 そして、鼻からチラリと覗く一本の毛さえも…。

 朝比奈は、常に龍一郎の後を歩き、その心は龍一郎の隣に立ち、その目はあらゆる角度から龍一郎を見詰める。
 そんな朝比奈が何も言わなかったのだ。
 こうしてトイレに俯いて駆け込む事など、バカバカしい事だったのかもしれない…。

 鏡に映る龍一郎の顔は、朝比奈に一刻でも早く会いたいと思う気持ちが駄々漏れで、そんな自分の顔にかぶりを振って、いつもの井坂龍一郎の仮面を付け直し、トイレを後にする。


 席を立つ時に流れていた、ジョン・コルトレーンのセイ・イットはいつの間にか終わっており、何処かで聞いたフレーズが耳に入って来る。
 『なんてタイトルだっただろう』などと、美しく切ないピアノの調べを聞きながら、龍一郎は、席までの間、店内をグルリと見渡した。
 ふと『ああ、ビルエヴァンスか…』と、いつか見た古い映画の挿入歌だった事を思い出し、少し足取りも軽く、小沢が待つ席に向かう龍一郎だったが…。

「っ!」

 店の角に位置するテーブル席で視線が止まり、息を飲む。
 そこには、愛を囁くような距離で談笑する一組のカップル。
 離れていて、その顔のパーツまで確認出来ないが、その横顔は、間違いなく安斎じゅん。

 そして、隣に居る男は朝比奈だろう…。
 残念ながら、龍一郎の位置からでは、女が馴れ馴れしく凭れる男の肩しか窺い知る事が出来ない。
 しかし、あの女の隣に朝比奈が居ないなら、何故、自分の隣にも居ない…と、反射効果で朝比奈だと判断した。

 嫉妬する視線と、そのよく磨かれた皮靴の先を、その男女に向ける龍一郎。

 だが、龍一郎は自らの立場を改める。

 数時間前に、龍一郎は、あの女に朝比奈を宛がった。
 それは、恋人としてではなく、一社員である朝比奈をコマとして使う、上司としてだ。
 龍一郎も朝比奈も、その判断については、異論はない。

 ただ、龍一郎の心の中には、いつも、それ以上に、"恋人"としての朝比奈薫が存在する。
 いつでも、どんな時でも、それは変わる事無く…。

(この判断を下したのは、俺だ…、間違いは無い…)

 俯けば、皮靴の先端が、龍一郎のプライドの様に、鈍く光っていた。

(こんな思いするくらいなら…。
 いや、間違ってなどいない…絶対に…)


<<     >>











人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -