2012-04-09
+++
「タクシーじゃないのか?」
店の前でハザードが炊かれた朝比奈の車を見て龍一郎はそう言った。
「ええ、あちらでお酒を頂いていないので…」
「わざわざ取りに帰ったのか?」
「はい、お店が自宅と、そう離れてはいなかったので」
確かに、車を出せる状態なら、タクシーよりかは経済的だ。
エスコートされ龍一郎が後部座席に乗り込むと、朝比奈はそのドアを閉め、運転席に回る。
エンジンが掛かり、身体に何の衝撃もなく、静かに車は走り出した。
「おい、朝比奈」
「はい」
龍一郎は、朝比奈と会話する気にもなれず「寝る」と、狸寝入りを決め込む。
「はい」と、返事をしたまま何も言わない朝比奈は、ただただ前を見て、目的地である龍一郎の自宅マンションへとハンドルを切った。
+++
「龍一郎様…」
ドアが開き、頬にヒヤリと冷気を感じて、身悶える。
狸寝入りのはずが、いつの間にか本当に寝入ってしまった龍一郎は、朝比奈の声にピクリと反応したが、虫の居所の悪さは全て朝比奈に原因があると、素直に起きようとしない。
「龍一郎様、起きて下さい」
ポンポンと肩を叩くが、起きようとしない龍一郎に何度も「起きて下さい」と言う。
が、やはり反応は無く、朝比奈は仕方なく、ドア側に足を揃えさせ、腕を引っ張って、その身体をシートから剥がして、車から引きづりだ………さずに、なんと、龍一郎を負ぶったのだ。
(お、おんぶ!?)
引っ張り出されて、無理矢理、地上に立たされると予想していた龍一郎は、突然の朝比奈の行動にビックリしつつも、普段は絶対に体験できないシチュエーションに身動きを取る事も忘れ、結果的に、その身を預ける事になってしまった。
たぶん、目を開けば、スグそこに朝比奈の横顔があって、本心とは真逆の気持ちを口から吐きかねないと思い、目は車内からずっと瞑ったまま。
成人男性を一人を背負うと言うのはやはり厳しく、朝比奈は龍一郎を落とさないよう、お辞儀するように上半身を深めに折って、キーリモコンを車に向ける。
ピピっと音が鳴って、ウインカーが点滅すると、朝比奈は、それをポケットに突っ込み、ズレ落ちそうな龍一郎の身体を引き上げ、歩き始めた。
龍一郎の自宅マンションのガレージは平面と立体があるが、来客用は平面ガレージにある。
朝比奈の背中でその体温を感じていた龍一郎は、部屋までの道のりが、立体駐車場より少し長くなって嬉しい…などと、心で思ったのだが、そんな事を思っていると、寝息のリズムが崩れてしまいそうで、なんとか、それをコントロールしながら、朝比奈が一歩進むごとに近付く別れの時を惜しく思うのだ。
が、階段を数段上った気配は感じたが、エレベーターに乗る感覚もなければ、人工的な明かりを瞼の上に感じる事もなかった。
しばらくして、立ち止った朝比奈が「着きましたよ、龍一郎様」と言ったので、そろそろ茶番も終わりにしようと『今、起きた』と言わんばかりに「ん?んぅ…」などと、何とも眠たそうに応答したのだが、その目の前の景色にそんな嘘を吐き通す事も忘れてしまった…。
「へ??サクラ??」
龍一郎の目の前には、一面満開の桜。
「はい、今週末までが見頃らしいんですが、明日は昼から大雨と暴風らしくて、今日が最後になるとか…」
朝比奈が龍一郎を負ぶってきたのは、自宅マンションへの帰路ではなく、桜の名所である神社の参道だったのだ。
ポカンと口を開けた龍一郎は、ただ茫然とそのチラチラと舞い落ちる白く美しい華を目で追う。
「そろそろ、降りて頂けますか?龍一郎様」
「あっ、あぁ」
朝比奈は龍一郎が倒れない様に、少しかがんで、膝裏を持っていた手をそっと離す。
降り立った石畳の参道を振り返れば、小さな太鼓橋に掛かった桜がなんとも綺麗だ。
時間が遅いせいか、ライトアップといった感じの光は無く、そこらへんに街灯が立っているだけで、その柔らかくも何ともない明かりが、花びら一枚一枚に反射して、龍一郎を白い光で包んでいた。
「ココって…」
「先程の店の近くですよ」
「でも、店を出て、20分は走ってただろ」
「はい。
そのまま、ご自宅までお送りする予定だったんですが、ラジオで明日は雨と聞いて、引き返してきました。
勝手をして申し訳ありません」
朝比奈は、少し寂しそうな顔で龍一郎にそう言った。
ココへは、龍一郎の機嫌を取る為だけに来た訳ではない。
自分も恋人と一緒に桜を見たかった。
今日は、龍一郎と桜を見て、ディナーをするはずだったのに、突然の呼び出しでそれも叶わず、朝比奈の中でも欲求が溜まっているのだ。
しかし、機嫌の悪い龍一郎に何を言った所で「お前は俺より親父だろ」と、ツンツンされるのが落ちで…。
だから、こうして、行動で示した。
しかし、今の所、龍一郎の口からは疑問符しか聞けていない。
「キレイだな」と一言聞きたくてたまらないのに…。
「おい、朝比奈」
声のした方を、はたと振り返ると、近くにあった石のベンチに腰を下ろした龍一郎。
自分の隣に空いた座面をポンポンと叩き、朝比奈に「座れ」と命令した。
朝比奈が座ると、ゴロリと横になり、その頭を朝比奈の膝に乗せ、境内に咲く一面の桜に目を向ける。
上から覗いた龍一郎の横顔からは、彼の内心を読み取ることはできない。
ただ、凛とした美しい黒目は自分ではなく、白く光る桜を見詰めていた。
時間にして10分ほどだろうか、その体勢でいた二人だったが、龍一郎が身を少し縮めるようにした様子を見て、朝比奈は「冷えます。帰りましょう」と、龍一郎を無理矢理に起こし、立ち上がる。
桜は満開だが、夜はやはり冷たく、特にアルコールの沁みた身体ともなれば、それは倍に感じるだろう。
いくらコートを着ているとはいえ、身体を預けているのが石材であれば尚更だ。
本人が「寒くない」と思っていなくても、芯が冷えてしまっては、風邪をひいてしまう。
空回りな自分の気持ちをどうにか隠して、先程来た道をスタスタと歩いて行くが、振り返れば、参道の真ん中で、ボーっと桜を見上げている龍一郎が居て、朝比奈はその元に早足で駆け戻る。
「龍一郎様、帰りますよ」
「あぁ」
返事した声は、心ここにあらず。
龍一郎は、その美しく咲き、そして、散って行く桜を遠く見詰めるのであった。