2012-04-07
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「おぉ、高野!おつかれ〜」
下戸共が酔い潰れ、畳とお友達になり始めた頃に現れた高野に、龍一郎は駆け付け一杯と、ビールを酌する。
「まぁ、なかなかいい店だ。
七光りが選んだにしては上出来だな」
「そうですか、気に入ってもらえて何よりです。
小野寺も…」
店を選んだ小野寺出版の御曹司を見れば、女子社員にちやほやされ、真っ赤に酔った顔でボディータッチを許していた。
グイっとビールを飲み干した高野は、明らかに不機嫌な様子でそれを見ていて、そんな高野に龍一郎は「持って帰ってイイぞ」と小野寺を横目で見る。
「えっ…?」
「大切な預かりモンだ、あんまり無理させんなよ」
ニコっと口角を上げ微笑みを返されたが、高野はその目の奥にある冷静さの方が気になった。
「どういった意味で、ですか?」
「ん〜?それは、自分で考えたら?」
頬杖を突きながら、少々冷めた料理に手を伸ばす目の前の男。
ハッキリ言ってこの男は何を考えているか分からない。
芯を突いた事を言うのに、こちらが何かを返そうとしたら、スルリとかわされてしまう。
若い頃は結構派手にやっていたらしく、古株の話では、勝手に動いて局面を動かす歩兵のようだったと聞くが、幹部になってからは、その灰汁の強い駒を使う名棋士と言った感じだろうか…。
そう思う高野自身も、その駒の一つなのだが…。
「ん?何か付いてるか?」
無意識にその横顔を見ていた高野は「いえ」と短く否定して「では、お先に失礼します」と頭を下げた。
行儀悪く、頬杖を突いたまま冷えた唐揚げを咀嚼する龍一郎は、目だけを動かして辺りの様子を伺う。
宴が始まった頃の左右の人間が誰だったかなんて覚えていない。
営業の奴だったか、総務の奴だったか、女だったか、男だったか…。
自分の周りの人間は、常に自分の顔色を伺って話し掛け、酌をしにやってくる。
憂さ晴らしの為に来たのに、ストレスは溜まる一方。
だが、自宅で一人イライラとしているよりかは、幾分ましで、桜は見えないが、それよりも濃く色付いた顔がヘラヘラと笑って陽気そうに過ごしている。
それで表面的に楽しんでいる感じだ。
今も、ビールの大瓶を持ってフラフラと千鳥足で寄ってきた女が「せんむ〜、空っぽじゃないですかぁ〜」などと言いながら、龍一郎の前の空になった誰の物か分からないコップに温いビールを注いでくる。
「おう、悪いな」
「ほら、イッキイッキ!」
空になった瓶を置くと両手のひらを上に向け煽る女に、龍一郎は「ん?誰が?」と、口角を上げた。
「しっつれぇーいたしましたぁッ!!」
女はコップを奪って立ち上がり、腰に手を当て、グビグビと飲み干していく。
別に強要したわけではない。
龍一郎は「誰が?」と質問しただけだ。
しかし、先程高野が感じたオーラは酔っ払いにも有効らしい。
「おー、あんまり無理すんなよ〜」
適当な言い方だが、これは本心だ。
無茶な呑み方をして新聞沙汰になるのは勘弁してほしい。
女は空のコップを高々と上げ「あっりがとうーございましたぁっ!!」と敬礼して、フラフラと別の席へ去って行った。
さっきから、こんなやりとりを何回も繰り返している。
顔はそれなりに取り繕っているから、なんとなく場の空気には酔っているし、酒も多少なりとも身体に入っているから、脳内もまぁまぁ酔っている。
しかし、心底楽しいわけではない。
自分が開いた宴だが、全く下らない。
本当は、ココに自分が居る意味なんてない…。
居場所なんて、ドコにもなかった。
そんな事は最初から分かっていたはずだ…。
「あっ、あさひなさぁん!!」
酔っ払い独特の間の抜けた声が飛んだ方に目をやると、敲きから座敷に上がろうとしている男…、朝比奈。
足元で、酌を進める社員をやんわりと断り、ズンズンと龍一郎の元へ進んでくる。
そんな様子を見た龍一郎は、一瞬、頬が緩みそうになってしまい、慌てて顔を逸らす。
「何しにきた」
「さっ、帰りますよ」
やさぐれ龍一郎は、当然の様に帰宅を促す朝比奈に「ひとりで帰れ」と、目の前にあるコップに手酌でビールを注ぎ、煽る。
はぁ…と溜息を吐いた朝比奈は、龍一郎の隣にピタリと座り、龍一郎にしか聞こえないボリュームで話し始めた。
「ソレを呑んだら、帰りなさい」
イライラ…。
「貴方が帰らないと、他の社員がなかなか帰れないでしょ」
イライラ…。
「それに、平日に飲み会なんて、ちょっとは考えて下さい」
イライラ…。
「明日は朝から会議です」
プチンッ!
「うっせーなっ!」
座敷全体に聞こえる龍一郎の怒鳴り声に、ざわざわとしていた外野が静まる。
しまった…と、龍一郎は眉を顰めるが、時すでに遅し…、視線はその声の主に集まった。
昔からそうだ。
朝比奈の前では、上手く取り繕えないし、言い返せない。
わざと気を引くような事をして、こうして振り向かせるくせに、振り向いたら振り向いたで、突き離そうとする。
全く無意味なやりとりだ…。
いや、意味はあるのかもしれない。
単純に構って欲しいのだ。
自分だけを見ていて欲しい…。
勿論、素直にそんな事は言えない。
言えたらきっと楽だろうに、龍一郎はそれを頑なに守る。
「さっ、帰りますよ、専務」
会場の視線を一気に集めてしまった為、一気に居心地の悪くなった座敷を離れようと立ち上がる。
するとドコからか「朝比奈君と井坂君は全然変わってないわね〜」などと、落ち着いた声が聞こえた。
ふと、そちらを見た龍一郎に対し「おつかれさま〜、気を付けて〜」と、ヒラヒラと機嫌良く手をふる年上の女。
龍一郎の歩兵時代を知る、先輩社員。
聞こえぬ舌打ちをした龍一郎は、朝比奈がいつの間にか準備していた皮靴を履き、振り返りもせず、店を後にした。
結局、昔から何も変わっていないのだ。
(あの頃から、俺は、朝比奈と一緒に居ない自分が、一番嫌いで、一番苦手だ…)