記憶の中の白い海は[2]貴方のことが、好きだよ。
ナマエは、そう言って笑って。
いつだって、僕の傍にいてくれた。
それは、ずっと変わらないものだと信じていたのに。
ナマエの症状は、一部の記憶喪失だと診断された。
原因は、倒れた際に頭をぶつけたことらしい。
いつ記憶が戻るのか、果たして戻るかさえも、分からないと言われて。
僕は、医者の診断を黙って聞いていた。
「バニー…」
僕の背後で一緒に話を聞いていた虎徹さんが、気遣わしげな声を出す。
「…分かり、ました」
僕はそれだけ言うと、部屋を後にした。
「バニー!」
虎徹さんの声が追ってきたが、振り返らなかった。
今は、彼とも話したくなかった。
なぜナマエは、虎徹さんのことは覚えているのだ。
僕のことは忘れてしまったのに。
そんな理不尽な憤りと悲しさを、虎徹さんに向けるのはお門違いだと頭では分かっているのだが。
どうしても、やり切れなくて。
僕は病院を出て、外のベンチに崩れ落ちた。
どうして、どうしてこんなことになった。
ナマエは僕が、心から愛した唯一の人なのに。
ずっと一緒だと、言ってくれたのに。
彼女の記憶の中に、僕はいない。
愛し合った日々も、些細な喧嘩も。
なにも、覚えていないなんて。
この気持ちを受け止めてくれる人がいない今、僕はどうすればいい。
この、留まることを知らない愛情を。
どうすればいい。
記憶が戻る保証はないと、医者は言った。
明日突然思い出すかもしれないし、一生思い出さないかもしれない、と。
僕は、どうすればいい。
「バニー」
ずいぶんと長い間、ベンチで項垂れていたら。
背後から虎徹さんの声がした。
「…なんですか」
胸の内に渦巻く、どす黒い感情。
どうしてなんだ。
なぜ、僕だけが忘れられてしまった。
他のことは、全て覚えているのに。
「いつまで、そうしてるつもりだ」
静かな声に、問い質される。
「こんなとこで塞ぎ込んでる場合じゃないだろ?」
その言葉に、苛立ちが募った。
「貴方にっ、貴方に何が分かるんですか!」
振り返って、怒鳴れば。
「分かるかよ!」
同じだけの声量で、怒鳴り返された。
「お前が何考えてんのかなんて、分かんねーよ!何うだうだしてんだ!あいつが記憶なくしたら、もう好きじゃなくなんのかよ!」
ひどく真剣な表情に、思わず息を飲んだ。
「ナマエが好きなんだろ。記憶がなくたって、ナマエはナマエだろーが」
やり切れない、と言わんばかりの口調。
胸を突かれる思いがした。
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