[37]海外
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六月二日。

保科です。
先月末、ACLラウンド16の第二戦があり、チームはベストエイト進出を決めました。近日中に、ノックアウトステージ準々決勝の対戦チームが決まる予定です。
今月から、天皇杯も始まります。同じチームに所属している長男の満が二連覇を狙うと意気込んでいましたが、もしかしたらその前に、満兄は移籍が決まるかもしれません。少し前からオランダのチームに声を掛けられていたのですが、その話がいよいよ本決まりとなりそうです。


「オランダのトップディビジョンだ。流石に気合いが入るな、これは」

この一年で馴染みとなった居酒屋の座敷で、そう言った満がジョッキを傾けた。
その向かいに腰を下ろした保科も、ゆっくりとそれに倣う。

「決まりですか」
「ああ。八月の頭に移籍する」

オランダプロサッカーの一部リーグに所属するチームからの勧誘だ。
余程条件が悪くない限り、このチャンスを逃す手はないだろう。

「悪いな。せっかくチームがいい調子なのに」
「いえ、それは気にするべきではありません」

確かにエースの抜ける穴は大きいが、こんな機会が二度もあるとは限らないのだ。
チームのことは気にせず、挑戦するべきである。

「とりあえずあれだな。彼女にごめんなさいしないと」

戯けた口調で言われ、保科は眉を顰めた。
今更この兄の恋愛事情に口を出す気など毛頭ないが、それにしても相変わらずである。

「で、向こうでオランダの美女とお付き合いだ。こりゃ腕が鳴るぞ」
「先にオランダ語を学ぶべきでは?」
「ボディランゲージだ。いろんな意味で」

満は決して頭が悪いわけではないのだが、いまいち品性の欠けた回答に、保科は溜息を吐き出した。

「んな露骨に嫌そうな反応するなよ」
「いえ、嫌というわけでは」
「宇宙人相手にしてるみたいな顔だぞ」
「……俺には理解出来ないと思っただけで、批判しているわけではありません」
「お前はお堅すぎるんだよ、タク」

苦笑した満が、焼き鳥の串を指先で弄びながら保科を見る。

「別に結婚するわけじゃないんだ。短い時間でも互いに楽しんで癒されて、気持ち良く別れる。せっかく男と女がいるんだ。足りないものを埋め合うのは自然の摂理だろ?」

はあ、と保科は曖昧に頷いた。
もしかしたら一理あるのかもしれないが、人類皆が皆そう考えられるわけではない。

「まあ、お前にそうしろって言ったって、そりゃ逆立ちしても無理な話なんだろうが。ただ俺は、そこまで気負わずにもう少し気軽に楽しんでもいいんじゃないかって言いたいだけだよ」
「……覚えておきます」
「はは、面白くない答え方しやがって」

満が笑って、焼き鳥串を口に突っ込んだ。

「十年もかかっちまったが、先に行って来るよ」
「はい」
「お前も、さっさと来いよ」
「努力します」
「今年のワールドカップは間に合わなかったが、四年後は三人揃って代表だからな」
「はい」

女性関係についてどんな発言をしようが、結局この兄は格好良いのだから卑怯だと、保科は思う。
ようやく同じチームでプレー出来るようになったのに、並んだかと思う前に背中はまた遠ざかった。
この背は、保科に追うことをやめさせない。
それが、悔しくも誇らしい。

「今年こそ、お前とリーグ戦を獲りたかったんだがな。優勝は、ワールドカップまでお預けだ」
「聖也にはもう伝えたんですか?」
「ああ、思いっきり自慢してやった」

電話越しの会話を想像して、保科は頬を緩めた。

「そしたらあいつ、なんて言ったと思う?」
「普通に考えれば祝うべき状況ですが」
「あいつは本当、俺にだけ辛辣だよな。へえ、の一言で流して、最近どこぞの女子アナに告白された自慢をしてきやがった」
「………羨ましかったのでは?」

ふん、と満が鼻を鳴らす。
楽しそうだな、と思った。
生憎保科に、その返しは出来ない。

「なぁにが女子アナだ。オランダの美女自慢を待ってろよ。あいつの女の話なんか絶対聞いてやらねえ」
「よかったのでは?静岡に行く前に別れた時は、流石に気落ちしている様子でした」
「二年も付き合えばそうなるもんかな。生憎、俺にその感覚は分からんからなあ」
「長くて半年ですからね」

兄たちが対照的な恋愛の仕方をするのは昔からだ。

「別にいいんだけどな。どうもあいつの、自分の方が真っ当です、みたいな自慢の仕方が気に入らん」
「そうですか」
「お前の自慢なら聞いてやるぞ。むしろ早く聞かせてくれ」
「……生憎、期待には応えられそうにありません」
「知ってるよ生真面目青年め」

結局いつも通りの着地点を迎えた会話に、保科はしかし、昔とは異なる感覚を抱いていた。
学生の頃から、恋人はいないのかと兄たちに聞かれ揶揄されることは多かった。
恋愛のれの字も知らなかった当時の保科は、特に何を思うでもなく淡々と否と答えたものだ。
そういった話題を提供出来ないことについて、多少の申し訳なさは感じていたが、だからといって興味がないものは如何ともしがたい。
兄たちに諦めてもらう他なかったのだ。
だが、今答える否は、あの頃とは意味合いが全く異なる。
恋愛に興味がないから恋人の話を出来そうにないのではなく、好きな女性と交際に至っていないから自慢する話がないのだ。
いつか、彼女の話を兄たちにする日が来るだろうか。
初めての恋人だと、紹介出来る日が来るだろうか。
残念ながら、そんな想像が出来るほど保科は楽観的ではなかった。


ベストエイト進出、おめでとうございます。ニュースでかなり取り上げられていましたよ。準々決勝からは、テレビでオンエアされるみたいなので、私も楽しみにしています。
そして、お兄さんのオランダ移籍、凄いですね!少し調べてみたのですが、凄く強いチームで、日本でも人気があるとか。FW陣は随分と強烈な印象ですが、そこに食い込んでいくんですよね。格好良いなあ。もしお兄さんが私のことをご存知なら、おめでとうございますとお伝え下さい。


保科は、数時間前に届いたメールを思い出す。
随分と興奮した様子で、彼女は満の移籍を喜んでくれた。
弟としては、嬉しい限りだ。
人としても、彼女の優しさをありがたく思う。
好きな人が、自分の家族のことまでこうして喜んでくれるのだ。
単純に、素敵な女性だな、と思う。
が、男としては複雑だ。
彼女のメールに格好良いなんて単語が登場したのは初めてで、それが満に向けられた賞賛であることが保科にはどうにも面白くなかった。
彼女が保科の試合を観てくれているということは即ち、満の試合を観ているということでもある。
普段話題にしないだけで、彼女は満のサッカーが好きなのだろうか。

誰が伝えるものかと、目の前で胡瓜の浅漬けを頬張る兄を見て保科は思った。



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