[32]上気
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「「遅い!!」」

ふわふわと、保科拓己を知っている人間ならば誰もが首を傾げたくなるような、あまりに似合わないオノマトペを脳内に漂わせ、だが足取りだけは至って生真面目な調子でスタジアムの正面入口に辿り着いた保科を出迎えたのは、見事に重なった異口同音だった。
予想外の出来事に見舞われ、保科は長い睫毛を瞬かせる。
そこには満と聖也、二人の兄が腕を組んで立っていた。

「お前はどこで何をしてたんだ!」

満に問い質され、保科は戸惑いながらも素直に口を開く。

「普段滅多に会えない人とここで会えたので、話をしていました」
「だったらそれを先に言えよ」
「用事が出来たので先に帰っていてほしいと、伝えたつもりだったのですが、」
「あんな投げっぱなしの説明があるか」

どうやら二人は保科の意図を掴みきれず、心配して待ってくれていたらしい。
そう理解し、保科はやんわりと眉尻を下げた。
成人済みの男相手に、とんだ過保護である。

「すみません、遅くなりました」

だが、それが嫌なわけではない。
素直に謝れば、満がふんと鼻を鳴らした。
そのまま勢いよく背を向けた満が、ずかずかと大股で歩いて行く。

「まあ、何事もなかったんだからそれでいいさ。ほら、帰るぞ、タク」

苦笑した聖也が、そう言って取り成してくれる。
保科はそれに従い、聖也と並んで満の後を追った。

「罰として今夜の飲み代はお前持ちな」

満が、背中越しに命じる。
そう言われても仕方ないだろうと、保科は頷いた。

「お高い日本酒置いてる店にするぞ」
「はい」
「潰れるまで飲んでやる」
「それは身体に障るのでやめて下さい」
「うるさい生真面目馬鹿め」
「お前ら往来で兄弟喧嘩すんのやめろよ」
「喧嘩じゃなくて叱ってるんだよ!」

馴染みのやり取りにそっと苦笑すれば、隣にいた聖也が保科の顔を覗き込む。

「どうした?なんか嬉しそうだな」
「……そんな風に見えますか?」
「ああ。随分ゴキゲンじゃないか」

そうか、そう見えるのかと、保科は面映ゆくなった。
自分は感情が顔に出にくい性質のはずだが、今はその許容範囲を超えているということかもしれない。

「……話せて、嬉しかったので、」

そう、嬉しかった。
掛ける言葉がない、迷惑になるだけだ。
そう思っていたし、実際気の利いたことなど言えず却って彼女に気を遣わせてしまったかもしれないが、それでも嬉しかった。
やっと会えた、声が聞けた、言葉を交わせた。
視線が合って、笑顔が見られた。

「珍しいな、お前がそんなことを言うなんて」

うっかり想いを告げてしまったのは、早まったとしか言いようがない。
だが結果として、それで良かったのだろう。
嘘が下手で不器用な自分には隠し事など向かないと、保科は知っている。
ならば最初から胸の内を全て晒した方が、最終的には気が楽だ。
そして保科にとって予想外なことに、彼女は保科の告白を真剣に聞き届け、考えると言ってくれた。
その場で断られる覚悟をしていた身としては、破格の待遇に驚くばかりだ。
考えるということは、保科の想いに応えるという可能性がゼロでないことを意味するのだろう。
まだ相手のことをよく知らないから、知って考えてから答えを出す。
彼女の誠実さに、保科は助けられたのだ。

「さては女だな?」
「はい、女性です」
「……………は?!」

果たして彼女は、どのような答えを出してくれるのか。
いつまで、と期限を決めたわけではない。
彼女にとってはその場を誤魔化すための単なる口約束で、このまま有耶無耶にされる可能性だってないとは言えない。
だがそれはそれで、彼女の答えとして受け止めようと思っている。
保科は先刻彼女に告げた通り、何年でも待っている所存だ。
望みを持ったまま待たせてもらえるということは、ありがたかった。


実家の最寄り駅で電車を降り、改札を抜ける。
そこで偶然、よく見知った男に出会った。

「タク?聖也さんに満さんも!」

名を呼ばれ揃って振り返れば、懐かしい顔。

「おお!浦じゃねえか!」

まず聖也が声を上げ、足早に近付いて来る男を迎え入れた。

「お久しぶりです、聖也さん」
「おう。なんだ、もしかしてお前も埼スタか?」
「はい、ウチの奴等と観に行った帰りで」
「そうかそうか」

聖也に続き、満も浦に声をかける。

「久しぶりだなあ、お前、また背伸びたか?」
「え?いや、流石にもう止まりましたよ」
「昔は俺の半分くらいしかなかったのに」
「そんなに小さくなかったですよ!」

中学一年の時から、浦は保科のチームメイトだった。
当然、満も聖也も中学時代の浦を知っている。
特に聖也とは年齢差が四つのため、保科と共に浦も東院では散々扱かれたものだった。

「お前、このあと暇なら一緒に飲みに行くか?」
「え?いいんですか?」
「ああ、うちの弟の奢りだ。好きに飲め」

保科の意思を確認することもなく、満が勝手に決めてしまう。
ちらりと浦に視線を向けられ、保科は頷いた。
今更抵抗する気は全くない。

「よし、そうと決まればさっさと行くぞ!」
「っす!」

機嫌よく歩いて行く満と浦に、聖也も笑いながら続き、保科は三人の後を追った。
お高い日本酒が云々と言っていたわりに、満が入ったのは馴染みの居酒屋で、保科は些か拍子抜けする。
とんでもない額をカードで支払う羽目になるかと身構えていたが、どうやら多少は遠慮してくれたらしい。
半個室の座敷に案内され、保科は浦の隣に腰を下ろした。

「浦はビールでいいな。とりあえず生三つと、タク、お前は?」
「俺も、同じものを」
「ん?珍しいな。じゃあ生四つ!」

あと枝豆、と満が付け足す。
最初の注文を取り終えた店員が去って行くと、満が保科の顔をまじまじと見た。

「本当に機嫌がいいんだな。お前が飲むなんて珍しいじゃないか」

成人してから半年と少し。
満の言う通り、保科が酒を飲む機会は殆どなかった。
身体に気を遣っているという理由が大半だし、特段酒が好きというわけでもないので、一人で飲むことはあり得ない。
兄やチームメイトたちと食事に行く時も、勧められれば最初の一杯は断らないが、自分からアルコールに手を伸ばすことはまずなかった。

「今日は、そういう気分で」

だから保科はまだ、酔っ払うという感覚を知らない。
ビールを一杯飲んでも身体が少し火照る程度で、思考や言動は普段通りだ。
だが、親しい人と共に酒を飲むその空気感を楽しむ、という感覚は理解していた。

適当に肴を注文し、若者は肉を食え肉を、という満の言葉でボリューミーな大皿料理も並ぶ中、久しぶりに再会した浦との会話は盛り上がる。
基本的に保科は聞き役で、三人の会話を聞いているのが楽しかった。
言わずもがな、話題は専らサッカーだ。
今日の試合、浦の大学リーグ、聖也の静岡のチーム、満と保科の大阪のチーム。
全員がサッカー中心の生活をしていて、さらに試合を観て来た帰りなのだから、話題が尽きることはない。

「来年こそリーグ優勝したいな、タク」
「はい」
「いーや、次こそウチだね」
「はは、頑張って下さいよ、また試合いっぱい観るんで」
「いやお前こそ頑張れよ!三位で満足なんて許さないぞ」
「頑張りますけど!正直、聖也さんが抜けた穴は大きいんですよ」
「そんなもん知らん。一位獲るまで卒業するなよ!」
「え、俺留年っすか」
「阿呆、チャンスはあと二年もあるだろうが」
「いやいやいやいや」
「五百人彼女作るんだろ!だったら優勝して得点王にでもならねーとな」
「え、なんすかそれ。聖也さん、得点王になった時彼女五百人もいたんすか?」
「いや、一人」
「じゃあ関係ないじゃないすか!」

昔から、大抵はこの調子だった。
クレバーだが体育会系の上下関係が染み付いた浦は、いつも満と聖也に無茶を言われて振り回される。

「こいつは言うほどモテないからな。見習うなら俺にしとけ」
「満さんはなんかもう次元が違いますよ」
「サッカーやってなかったらホストだっただろうなあ、お前は」
「僻むなよ」
「いや、どちらかと言えば蔑んでる」

やがて、後輩といることで先輩気質が発揮されるのか、互いにマウントを奪い合うような戯れが、満と聖也の間で始まる。

「そろそろいい年なんだから落ち着けよ。それこそ、タクを見習ったらどうだ?」
「待て待て待て。それじゃいい年を通り越して老人だよ」

そして、黙って話を聞いていた保科がとばっちりを喰らうのだ。

「俺はこいつみたいに枯れてないからな!」
「いや、別にタクだって枯れちゃいないと思うが」
「この年で童貞なんて枯れてるか役立たずかのどっちかだろ」
「ちょ、満さん、声でかいっす!」

酔っ払ってとんでもないことを言い出した満を、浦が慌てて制した。
保科としても、苦虫を噛み潰したかのような顔になるしかない。

「まあ、老成してるんだかケツが青いんだか」

こういう時、男兄弟の遠慮のなさは厄介だった。

「タクは真面目なだけっすよ、な?」

有難いような、そうでもないようなフォローをされ、保科は押し黙る。
浦が苦笑した。

「落ち込むなって。俺なんてこないだ振られたばっかだぞ?」
「そうなのか」
「サッカーをしてる時は格好良いと思うけど、だってよ!じゃあ普段は格好良くないんだろ分かってるよ!」

どうやら、それなりに気にしているらしい。
恨めしそうに吠える浦に、満と聖也が揃って吹き出した。

「なんだお前、そんなこと言われたのか」
「情けないなあ」
「モテるJリーガーには一生分かんない悩みっすよ!」

再び始まった三人の会話を聞き流しながら、保科は顎に手を当てて考える。
なるほど、そういう風に考える女性もいるのか、と。
普段は別としても、男がサッカーをしている姿というのは、女性にとって格好良く見えるのだろうか。

ならば、彼女にとっては。

試合を観たと、言ってくれた。
どのくらいの頻度のことなのかは分からないが、あの口振りから察するに、天皇杯の準々決勝が初めてという訳ではなかったのだろう。
週末毎に試合があるのだ。
何となくテレビを付けているだけで、映ることもあるだろう。

彼女は、格好良いと、思ってくれただろうか。

反射的に口元を手で覆った保科は、生まれて初めて、もしかしたら自分は今酔っ払っているのかもしれないと思った。



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