[30]告白
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長い沈黙が落ちた。
保科はもう、これ以上何を説明すればいいのか分からず立ち尽くすしかない。
彼女は、当然のことながら戸惑って言葉を見つけられずにいる。

「………その、」

やがて沈黙を破ったのは、彼女の方だった。

「はい」

保科は絶望的な気分で、躊躇いがちな呼び掛けに応える。
何と言って断られるのか、想像するだけで心臓が止まりそうだった。

「……整理、したいんですけど、」
「はい」
「………保科さん、は、前から私のことを好きでいてくれた、ということで、いいですか」
「はい」

聞きづらいという思いが透けて見える、辿々しい問い。
保科が明確に頷けば、彼女は一層困ったような顔になった。

「………理由を、聞いてもいいですか」
「俺があなたを好きになった、理由ですか?」
「はい。……その……、信じられないというか、……特に接点という接点は、なかったと思うんですけど」

尤もな疑問である。
だが保科は、それに対する明確な回答を持たなかった。

「正直に言いますが、自分でもよく分かりません。最初は、あなたの分析力と戦術に対するその応用に興味を引かれました」

東院を攻略してみせたその頭脳に、興味が湧いた。

「話してみて、とても理知的でありながら、普通の女子高生であることを知りました。恐らくあの時から、俺はあなた自身のことが気になっていた。自覚したのは、その後でした」

試合に姿を見せなかったことが、自分でも不思議なほど気に掛かった。

「病院で、あなたが、とても可愛らしく笑ったので。それを見て俺は、あなたのことが好きなんだと気付きました」

大事にします、と。
綺麗に、笑ってくれたから。

「これで、あなたが納得する理由になりますか?」
「………はい、まあ……その、一応は、」
「すみません。初めてのことなので、自分でもよく分かっていない部分が多く、あまり上手く伝えられる気がしません」
「は、じめて……?」

あまり納得がいっていない様子を見せられ、言い訳のように付け足せば、彼女がぽかんと口を開けた。
凛とした表情も美しいが、そういう無防備な仕草も可愛らしいと、場違いなことを思う。

「はい」
「………あの、私も正直に言いますけど、」
「はい、どうぞ遠慮なく」
「全部嘘ですって言われた方が納得出来るというか、ちょっと本当に理解出来てないというか、」

言葉通り、それが今の彼女の本音だったのだろう。
蟀谷の辺りに手を当てた彼女は、心底困惑している様子だった。

「すみません、気を悪くしないで下さいね。保科さんが、こういうことで冗談を言ったりしないだろうっていうのは、何となく分かってるつもりなので」

付け足された言葉に、そっと頬を緩める。
遠慮なく、と言ったのは、気を遣わなくていいという意味もあったのに、彼女は保科の心情まで慮ってくれるらしい。

「構いません。俺自身、説得力がないのは承知しています。あなたがもし信じてくれるのならば、それだけでも俺は嬉しい」
「……ちょっと、人が良すぎませんか」
「性格の善し悪しについて自分では判断出来ませんが、あなたにそう思われたいのは事実です」
「…………卑怯ですよ、それ」

僅かに批判的な視線を向けられ、保科は戸惑う。
しかし、何がと問う前に、彼女は続けた。

「それで、その………好きだっていう、話、ですけど、」
「はい」
「……言うつもりがなかったということは、それは、保科さんは私に、伝えて終わりにする、っていう意味ですか?それとも、返事があった方が、いいんですか?」

言葉を選びながら問われ、保科はしばし黙り込む。
自分でもこの展開を予期していなかったので、頭の中を整理するのに時間がかかった。

伝えるつもりはなかった。
少なくとも今日の時点では、そんなことは全く考えていなかった。
今にして思えば、恐らく、連絡先を聞いて、どのような頻度かはこの際置いておくとしても定期的に連絡が取れるようになれば、もしかしたらその先、想いを伝えたいと考えるようになったかもしれない。
では、その先に求めるものは。
答えは一つしかない。
保科は、彼女の特別になりたかったのだ。
好きになった相手に、自分のことを好きになってもらえる。
それはどんなにも幸福だろうかと。

「……あなたが俺にとって特別であるように、あなたにとっての俺もそうなればいいと、思っています」

だがそれが望み薄であることを、保科は理解しているのだ。

「ですが、あなたにはもう、特別な人がいるのでは?」
「……えっと、それはどういう?」
「………交際をしている相手がいるのではないかと、そういう質問です」

あの日、彼女を抱き上げた男。
今日、涙する彼女のもとへ飛び降りようとした男。

「へ?いや、いませんけど」
「………は?」
「いません、いないです。誰も、」

違う、のか。
あの男と、付き合っているわけではないのか。
その途端、保科は膝から力が抜けそうになり、慌てて踏み止まった。
現役のサッカー選手がこんな所でふらついたら、流石に格好が悪すぎる。

「……えっと、じゃあ、つまり、」

彼女が、恐る恐る確かめるように、保科を見上げた。
保科は小さく咳払いをして、居住まいを正す。
ここにきてようやく、本番のやり直しをさせて貰えるのだと理解した。

「………ミョウジさん。俺は、あなたのことが好きです。もし、よかったら、俺と………つ、きあって、頂きたいと、思っています。………あなたの考えを、聞かせてもらえますか」

こんなにも格好付かない告白は、恐らく珍しいだろう。
フルタイムで試合に出場した後のように喉が渇き、背中がじっとりと汗ばんでいた。
断られる覚悟で告白をするというのは、こんなにも吐きそうになるものなのか。
彼女の目を見ていられなくなって、保科は視線を逸らした。

「………あの、」
「……はい」
「お気持ちは、嬉しいです」

恋愛に疎い保科でも、それが断る際の常套句だと知っている。
覚悟していたはずなのに、目の前が真っ暗になるような錯覚。
保科は目を閉じ、唇を噛んだ。
身体を物理的に痛め付けていないと、胸の痛みに耐えられそうもなかったのだ。

「……きっと、本当に私のことを好きだって言ってくれてて、保科さんは多分、誠実な人なんだと、思います」

ゆっくりと瞼を持ち上げれば、彼女が躊躇いがちに言葉を紡いでいく様子が見て取れた。
突然やって来て不躾に告白した男に、真剣に応じてくれている。
やはり優しい人だと、胸が苦しくなった。

「だから、………卑怯なことを、言ってもいいですか?」
「はい、どうぞ。断られる覚悟は、出来ていますから」
「あ、いえ、そういうことじゃなくて。………その方が、いいのかな」

慌てたように否定した後、彼女が何事かを考え込む。
やがて顔を上げた彼女は、心底困った様子で保科を見つめた。

「……保科さんをそういう風に見たことがなかったので、今は自分でもよく分からなくて。でも、真剣に伝えてくれたから、私もちゃんと考えてから、答えたいと思ったんです……けど。……そういうのは、やっぱり卑怯ですか?」

そう言って、気恥ずかしそうに言葉尻を窄めた彼女を、保科は信じられない思いで見下ろす。
正直、何の聞き間違いかと思った。
そうでなければ、自分に都合の良い夢を見ているのだろうかとも。
だが目の前の出来事は現実で、驚き絶句した保科の反応をどう誤解したのか、彼女が申し訳なさそうに視線を伏せる。

「すみません、狡い言い方でした。やっぱり私は、」
「構いません!」

付き合えません、と彼女が声に出しきる前に、保科は勢い込んで彼女の台詞を遮っていた。

「卑怯でも狡くても構いません」

何でもいいから、前言撤回だけはしてくれるなと、保科は彼女に言い募る。

「待っています。あなたが考えて、答えを出してくれるまで、俺は何年でも待っていますから」

だからここで、望みを絶たないでほしい。
繋がるとは思っていなかった細い糸の端を、彼女が控えめに握ってくれたのだ。
それだけは手放さないでほしい。

「……それで、いいんですか?」
「俺には充分すぎます」
「………分かりました。考える時間を、貰います」
「はい」

強がりでも何でもなく、本心からそう思った。
突然告白されて、それをその場で受け流すことなく、真剣に向き合って考えようとしてくれた。
断られる覚悟をしていた保科にとって、どれほどありがたいことだろうか。
崖から突き落とされる寸前で何とか命綱を投げて貰えた、そんな心境だ。
保科はそっと息を吐き出し、いつの間にか掌をべったりと濡らしていた手汗をコートで拭った。



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