[24]相棒
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『久しぶりだな、タク』

スマートフォン越しに聞こえた声が、懐かしい。
六年間、いつも傍にあった声。
あの頃より落ち着いた声は少し低くなったように感じられたが、保科に郷愁を覚えさせるには充分だった。

「ああ、久しぶりだ。海」

こちらも、久しぶりに呼んだ愛称。
海藤隼から電話があったのは、保科がスタメンに復帰した試合を終えてホテルに戻った直後だった。

『今日、ウチの決勝を観て来たんだ』

前置きも雑談もなく、海藤が本題を切り出す。
それはそうだろうと、保科は思った。
この結果を目の前で観たのならば、誰かに話さずにはいられない。

『あいつら、やったよ。タク』
「うん」
『東院が、全国制覇だ』
「うん」

インターハイ決勝戦。
東院学園は六年ぶりに、全国の頂点に立った。

『凄かったよ。本当に凄かった。亜土夢がスーパーセーブを連発してな。なんかもう、涙が出そうだったよ』

興奮と誇らしさを滲ませた声で、海藤が試合の様子を伝えてくる。
石動がキャプテンとして、どんな風にチームを支えていたか。
保科が東院を率いていた頃の一年生、つまり今の三年生が、どれほどチームに献身的だったか。
保科はそれを、黙って聞いていた。

『……なあ、タク』
「うん」

海藤の声は、どこまでも柔らかい。

『俺は別にさ、後輩に夢を託したつもりなんてなかったんだ。引退したらそこで終わりで、今の東院は、あいつらの東院だ。俺はもう関係ない』

悲観的にも聞こえる台詞だが、海藤の声にその気配はなかった。
ただただ、静かに思いが紡がれていく。

『でも、それでもさ、嬉しいな』
「うん」
『あいつら、俺たちが出来なかったことをやってのけたよ』
「………うん、」

三年間、東京では絶対王者と呼ばれていた。
だがそれでも、全国制覇を成し遂げることは最後まで叶わなかった。
保科たちの成績は、最高で全国ベストフォーだ。
それ以上にはなれなかった。

『試合の後、亜土夢と話したんだ。いいキャプテンになったなって、俺はあいつに言った。実際、試合を観ていてそう思ったんだ』

入部と共に、東院に新しい風を巻き起こした男。
それは可能性でもあり、不安定さでもあった。
当時はまだ、後者の色も強かったように思う。
だが彼は、そして今の東院は、それを完全なる強みへと変えることが出来たのだろう。

『そしたらあいつ、なんて言ったと思う』

問いのようで、しかし答えを求めらている気がせず、保科は黙って続きを待った。

『東院の底力を見せてやると、決めてたんで』

その言い方から、それはそのまま、石動の発言そのものなのだと察する。
そうか、と相槌を打ちかけた保科は、脳裏を過ぎった既視感に口を噤んだ。

『……気付いたか?』
「………俺が、言った」
『そうだ、タク。二年前に、選手権でお前が亜土夢に言った台詞だ。あいつは律儀に、それを憶えてたんだ』

選手権予選決勝、対聖蹟戦。
同点に追い付かれた際に、保科は石動にそう声を掛けた。

勝って全国だ。だから、

『ゴールは任せた、と、お前に言われたんだと』
「……ああ、言った」

鮮明に蘇る記憶。
確かにそう宣言したのに、保科はあの年、石動に全国を見せてやれなかった。

『タクさんに任せてもらったのに、ゴールを守りきれなかった。それを死ぬほど後悔した。だからキャプテンに選ばれた時に、決めた。今度は絶対に守りきって、東院に天辺を獲らせてやる』

石動の言葉を、海藤がなぞる。

『タクさんの背中を追って育ったこの世代の強さを、証明してやる。だとさ』
「……亜土夢が、そう言ったのか」
『ああ。俺の名前が一度も出て来ないからとりあえず殴っておいたよ』

そう言って茶化す海藤の声に、喜びが滲んだ。

『タクさんタクさんって、お前はいつの間にあいつを手懐けてたんだ?』
「俺は、特に何も、」
『そう言うと思ったよ。鈍感な奴め』

海藤が呆れたような笑い声を上げる。
黙り込んだ保科に対し、海藤は続けた。

『俺は中学の時も高校の時も、お前をそう呼んだことはなかったけどさ。でも、思ってたよ』
「……何をだ?」
『お前が、俺たちのキャプテンだった』
「……海。俺は、お前に、」

パスを出せなかった。
信じ切れなかった。
全国の頂点を、見せてやれなかった。

「お前に、そんなことを言われる資格は、」
『タク。俺さ、こないだ大学の研修で病院に行ったんだ』
「……うん」
『患者の男の子が、病院の中庭でサッカーをしてたから、つい声を掛けた。俺も学生の頃にサッカーをしてたんだ、って』
「……うん」
『その子はな、最高に格好良いサッカー選手になるのが夢なんだってさ』
「そうか」
『だからさ、俺の親友はプロのサッカー選手なんだよって、自慢してきた』
「……海、お前、」
『そしたらさ、その子、なんて言ったと思う?』
「………分からない」
『もしかして保科拓己?!だってさ』

笑っちまうだろ、と言って、その言葉通り、海藤は笑った。

『この国に、いや世界に、何人のサッカー選手がいると思う?数え切れないだろ。なのにさ、日本代表でも何でもない、プロ二年目のお前の名前が一番最初に出て来たんだ。どんな偶然だと思う?でもあの子にとっては、当然だったんだ。だってあの子は、お前の名前しか知らなかった。あの子にとって最高に格好良いサッカー選手は、お前だけだったんだ』

言葉を失くした保科の頭の中は、疑問符で埋め尽くされる。
その子どもは、何をどうしたらそんな思考になったのだろう。
初めてテレビで観たサッカーがたまたま保科のチームの試合で、そこで偶然にも保科の名が最初にアナウンスされたのだろうか。

『俺は八歳じゃないからさ、流石に同じことは言えない。この世界には今のお前より上手い選手なんてごまんといる。お前が一番知ってる通りにさ』
「うん、そうだ」
『でもさ、タク。やっぱり俺も思うよ』

何を、と保科が訊ねる前に、海藤は言った。

『あの頃俺たちは、お前が最高に格好良いサッカー選手だと、信じきってたんだ。そしてお前は、それを背負って立ち続けてくれるキャプテンだったよ』

なあ、キャプテン、と、海藤からは一度も呼ばれたことのない呼称で話し掛けられる。

『だからいつか、俺たちにまた見せてくれよ。お前がキャプテンマークをしてないと、違和感しかないんだ』

この男は、と保科は思った。
海藤は昔から我儘で、無茶な要求ばかりする。
ここにパスが欲しい、もっとこうして欲しい、これは嫌だ、こっちがいい。
要求の嵐だった。
そして極め付けにこれだ。

「………精進する」
『タク、そういう時は約束するって言ってくれ』
「それだと意味が異なる」
『分かってるよ。分かって言ってるんだ』

昔からちっとも変わらない。
FWとは大抵皆こういう生き物だ。
だが保科は、そんな海藤にパスを出すのが好きだった。
その要求に応えてやれることを誇りに思っていた。

「………分かった、海」
『ん?』
「約束する」

頂点を見せてやることは、出来なかったから。
今度こそ、約束しよう。
キャプテンマークをつけてピッチを駆ける姿を、必ず見せてやる。

『それでこそ、俺たちのキャプテンだ』

満足げな声に、保科は苦笑した。

『ああ、それと、もう一つ約束してほしいことがあってさ』
「……なんだ、嫌な予感しかしないぞ」
『さっき言った亜土夢の話、内緒にしておいてくれ。本人に、お前には言うなって言われてるんだ』
「な……っ、お前、散々話しておいて!」

流石に声を荒げた保科の追及を笑って躱した海藤が、身勝手にもそのまま通話を切る。
一人取り残された保科は、スマートフォン片手に深々と溜息を吐き出した。



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